胡銓(1102頃 – 1180)は、南宋時代の政治家であり、字は邦衡です。彼は建炎2(1128)年に進士として優秀な成績を修め、その後枢密院編修官、工部侍郎、資政殿大学士と次々に昇進しました。
胡銓の最も注目すべき特徴の一つは、彼が宰相秦檜と強く対立したことで知られていることです。胡銓は「対金主戦論者」として知られ、金(現在の北中国を支配していた国)との戦争を主張しました。これは秦檜が主導した和平政策とは大きく対立するものでした。
彼の生涯と思想は、文集『澹菴集』に収められています。この作品は、彼の知識、洞察力、そして持続的な戦争を求める信念を示しています。胡銓の政策と見解は、南宋時代の政治情勢の一面を物語っており、その時代の学者や歴史家にとって重要な資料となっています。