四字熟語の典拠・出典一覧

四字熟語の典拠・出典一覧を、五十音順に掲載しました。

典拠とは、「頼りにできる根拠。文献などにみえる、しっかりしたよりどころ。出典(しゅってん)。典故。故実。」という意味です。

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「あ行」四字熟語の典拠・出典

青山佩弦斎(あおやまはいげんさい)

江戸後期の歴史学者、水戸藩士。名は延光(のぶみつ)、字(あざな)は伯卿(はくけい)、通称は量太郎。佩弦斎また晩翠(ばんすい)と号した。拙斎(せっさい)の長子として水戸城下に生まれ、弓術に優れる。1830年(天保1)『大日本史』編修局彰考館の総裁代役、1840年水戸の藩校弘道館(こうどうかん)の教授となる。1843年弘道館教授頭取(総教)となり、350石を給せられる。藩主を追われた徳川斉昭(とくがわなりあき)の雪冤(せつえん)に関係して一時罷免されたが、許されてのちは、1846年(弘化3)国史編修頭取として『大日本史』の本紀・列伝の出版に尽力。


阿闍世王受決経(あじゃせおうじゅけつきょう)

阿闍世王(あじゃせおう)は、釈尊在世から滅後にかけてのインドの大国・マガダ国の王。阿闍世はサンスクリットのアジャータシャトルの音写。未生怨[みしょうおん]と訳す。本来の意味は「敵対する者が生じない(無敵)」との意だが、中国・日本では「生まれる前からの敵」という解釈が広がった。


吾妻鏡(あずまかがみ)

『吾妻鏡』または『東鑑』は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、治承4年から文永3年までの幕府の事績を編年体で記す。成立時期は鎌倉時代末期の正安2年頃、編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。


阿弥陀経(あみだきょう)

『阿弥陀経』は、大乗仏教の聖典の一つ。原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』で、「極楽の荘厳」「幸あるところの美しい風景」の意味である。サンスクリットでは同タイトルの『無量寿経』と区別して『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ぶ。略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、『小経』と呼ばれる。


晏子春秋(あんししゅんじゅう)

中国春秋時代の斉において、霊公・荘公・景公の3代に仕え宰相となった、晏嬰に関する言行録をまとめたもの。


安然(あんねん)

平安時代前期の天台宗の僧。五大院阿闍梨・阿覚大師・福集金剛・真如金剛などと称される。近江国の生まれ。最澄と同族と伝えられている。 初め慈覚大師円仁につき、円仁の死後は遍昭に師事して顕密二教のほか戒学・悉曇学を考究した。877年中国に渡ろうとしたが断念。880年に悉曇蔵を著した。


韋昭(いしょう)

中国三国時代の呉の政治家・儒学者・歴史家。字は弘嗣。揚州呉郡雲陽県の人。子は韋隆。 『三国志』呉志 では韋曜と記載されている。


意林(いりん)


優婆塞戒経(うばそくかいきょう)

曇無讖訳の説法書。『優婆塞戒本』『善生経』とも呼ばれる。内容は善生長者と呼ばれた優婆塞に対し在家の持戒生活の為に菩薩戒を説いたもの。奈良時代後期の書写経で、称徳天皇が768年5月13日に父・聖武天皇の追善のために発願した一切経のうちとして成立した。現在は正倉院聖語蔵が所蔵しており、1992年の正倉院展で公開された。


雲仙雑記(うんせんざっき)

藍鼎元(らんていげん)著。


易経(えききょう)

古代中国の書物。著者は伏羲とされている。 商の時代から蓄積された卜辞を集大成したものとして易経は成立した。 『卜』が動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占うものであるのに対して、『筮』は植物である『蓍』の茎の本数を用いた占いである。


易林(えきりん)

前漢の宣帝(紀元前80年)の頃に、易学者の孟喜(もうき)が「周易」に暦を配置した。弟子の焦延壽(しょうえんじゅ)は「周易」の六十四卦を累乗発展させ「四千九十六卦」とした。一卦ごと四言絶句の詩をあてはめ約七万四千字なった。これが「焦氏易林」である。やがて、この「易林」は、弟子の京房(けいぼう)へ受け継がれ「京房易」、すなわち今日の「断易(だんえき)=五行易」と展開していくのである。「暦」に「易林」を配置する法を「卦気値日法」、あるいは「焦氏値日法」という。六十四本卦、四千九十六支卦を一年十二ヶ月・二十四節中気・七十二候・三百六十六日にあてはめ春夏秋冬の四季の「卦気」で推察し、「林詩」と併せて活断、実生活に役立てているのが「易林活断」である。


越絶書(えつぜつしょ)

後漢初期に書かれた春秋戦国時代の呉と越に関する書物。現行本は15巻。 同じく呉と越を扱った後漢の書物に『呉越春秋』があり、内容も多く重なるが、成書年代は『越絶書』の方が早く、『呉越春秋』の記事の中には『越絶書』を元にした箇所が多くあるという。


淮南子(えなんじ/わいなんし)

前漢の武帝の頃、淮南王劉安が学者を集めて編纂させた思想書。日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなんじ」と読むのが一般的である。『淮南鴻烈』ともいう。劉安・蘇非・李尚・伍被らが著作した。 10部21篇。


塩鉄論(えんてつろん)

中国の経済政策の書。一〇巻六〇篇。前漢の桓寛の編著。武帝が施行した塩、酒、鉄の専売などの財政政策の存廃について、宣帝のときに朝廷で行なわれた会議の討論をまとめたもの。当時の社会経済の実情を知る基本的な資料。


袁枚(えんばい)

中国清代の文人・詩人。食通として名高い。字は子才。号は簡斎、別の号として随園老人という。杭州府銭塘県の出身。本貫は寧波府慈渓県。


王維(おうい)

中国唐朝の最盛期である盛唐の高級官僚で、時代を代表する詩人。また、画家・書家・音楽家としての名も馳せた。字は摩詰、最晩年の官職が尚書右丞であったことから王右丞とも呼ばれる。


王羲之(おうぎし)

王 羲之は、中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれている。本貫は琅邪郡臨沂県。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族の琅邪王氏の出身である。 曾祖父は王覧。祖父は王正。父は王曠。妻は郗鑒の娘の郗璿。子は王玄之・王凝之・王渙之・王粛之・王徽之・王操之・王献之。


王倹(おうけん)

檀君は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、一般に紀元前2333年に即位したとされる伝説上の古朝鮮の王。『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄と熊女との間に生まれたと伝えられる。『三国遺事』の原注によると、檀君とは「檀国の君主」の意味であって個人名ではなく、個人名は王倹という。檀君朝鮮の項目も参照。


汪遵(おうじゅん)

晩唐の詩人汪遵はこのあっけない秦の滅亡について七言絶句を残しています。


王昌齢(おうしょうれい)

王 昌齢(おう しょうれい、698年 – 755年)は、中国唐の詩人。字は少伯。就任した官職の地名から、王江寧・王竜標とも称せられる。


王勃(おうぼつ)

中国の唐代初期の詩人。字は子安。楊炯・盧照鄰・駱賓王とともに「初唐の四傑」と称せられる。


欧陽脩(おうようしゅう)

北宋の仁宗から神宗時期の政治家・詩人・文学者・歴史学者。字は永叔、醉翁・六一居士と号す。諡号は文忠。唐宋八大家の一人。


王陽明(おうようめい)

王 陽明は、中国明代の儒学者・思想家・高級官僚・武将。思想家として当時の朱子学に対して批判的であり更に発展させた。

「か行」四字熟語の典拠・出典

開元天宝遺事(かいげんてんぽういじ)

五代十国時代後周の王仁裕(中国語版)が撰した志怪小説。 玄宗や楊貴妃などの逸話が記述されている。


海録砕事(かいろくさいじ)


何延之(かえんし)

〈唐・何延之(かえんし)「蘭亭記」 前同所収〉には、太宗(たいそう 626―649在位)が、供奉搨書人(きょうほうとうしょじん)として馮と諸、さらに趙摸(ちょうも)・韓道政(かんどうせい)の四人に命じて『蘭亭序』を搨させて、皇太子・諸王・近臣に下賜したことが記されている。


岳鄂王墓(がくがくおうのはか)

岳鄂王墓(趙孟頫)


霍小玉伝(かくしょうぎょくでん)

中国、唐代の伝奇小説。蒋防(しょうぼう)作。中唐期の著名な詩人で、いわゆる大暦十才子(たいれきじっさいし)の一人である李益を主人公とする。


学友抄(がくゆうしょう)

《「学友抄」から》子鳩は育ててくれた親鳩に敬意を表して、親鳥より3本下の枝に留まる。礼儀を重んずるべきであるということのたとえ。親孝行すべきことのたとえ。


鶴林玉露(かくりんぎょくろ)

南宋の羅大経(らだいけい)による随筆。著者の見聞や文学評論などを記す。淳祐戊申(1248年)から淳祐壬子(1252年)にかけて編纂された。全18巻。


過去現在因果経(かこげんざいいんがきょう)

仏教経典。4巻。劉宋の求那跋陀羅 (ぐなばっだら) 訳。過去世において普光如来のもとで出家し修行した釈尊は,その因が実を結んで現在世には成道しえたという仏伝を,釈尊みずから説くという形式で書かれた経典。文章は流麗で,ところどころに大乗思想が現れている。経因果経と,上段に仏伝の図相を入れ,下段に経文を書くという絵巻形式の絵因果経が著わされた。


鶡冠子(かつかんし)

古代中国戦国時代における諸子百家の一人。またはその人物に仮託される書物の題名。


賈島(かとう)

中国唐の詩人。字は浪仙、または閬仙。幽州范陽県の出身。大暦14年(779年) – 会昌3年7月28日(843年8月27日)


河南程氏外書(かなんていしがいしょ)

著作は朱熹(しゅき)。


河南程氏文集(かなんていしぶんしゅう)

著作者等:宋)程顥, 程頤撰。
刊行年月:同治10 [1871]


亀谷省軒(かめたにせいけん)

1838-1913 幕末-明治時代の武士、漢学者。天保(てんぽう)9年生まれ。対馬(つしま)(長崎県)府中藩士。広瀬旭荘(きょくそう),安井息軒にまなぶ。王政復古をとなえ,維新に際し,岩倉具視(ともみ)につかえた。明治6年官職を辞し,著作に専念。大正2年1月21日死去。76歳。名は行。字(あざな)は子省。著作に「育英文範」「省軒詩稿」。


関尹子(かんいんし)

中国、周時代の秦 (しん) の伝説的な思想家。本名、尹喜 (いんき) 。函谷関 (かんこくかん) を守る役人であったので、つけられた名。その思想は「荘子」などに断片的に残っているのみで、著書「関尹子」は後世の偽作という。生没年未詳。


観経疏(かんぎょうしょ)

中国、唐代初期の仏書。4巻。つぶさには『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』という。中国浄土教の祖師、善導(ぜんどう)(613―681)の主著。南朝宋(そう)代の畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳『観無量寿経』に対する注釈書で、従来の諸師の試みた解釈を是(ぜ)とせず、九品(くほん)(往生極楽(おうじょうごくらく)を願う人における9種の別)はみな凡夫(ぼんぶ)であるという立場にたち、すべての人が阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん)に基づく称名(しょうみょう)念仏によって、浄土に往生しうると力説した。


菅家遺誡(かんけいかい)

教訓書。2巻。著者未詳。室町時代の成立といわれる。公家で守るべきことを菅原道真に仮託して33条にまとめたもの。神事・田猟・武備・刑罰・冠婚葬祭などに分類。菅家遺訓。かんけゆいかい。


還魂記(かんこんき)

中国、明(みん)代の戯曲。55齣(せき)(幕)。湯顕祖(とうけんそ)の作。一名「牡丹亭(ぼたんてい)」。杜麗娘(とれいじょう)が夢のなかで青年柳夢梅(りゅうむばい)と出会い、花園の牡丹亭で契りを交わす。また柳夢梅も麗娘を夢にみて、慕わしく思うが、現実には会えないままに、麗娘は恋煩いのあげく他界する。しかし思慕の情は変わらず、亡魂が夢梅のもとに通い続け、ついに墓中より回生することができて、現世でめでたく夫婦になる、というのが大筋。


寒山(かんざん)

中国唐代に台州にある天台山の国清寺にいたとされる伝説的な風狂僧。『寒山子詩』の作者とされる。後世、拾得と共に有髪の姿で禅画の画題とされる。


管子(かんし)

古代中国の管仲に仮託して書かれた、法家または道家・雑家の書物。管仲の著書だと伝えられているが、篇によって思想や言い回しが異なり著者は複数居るとされる。


韓詩外伝(かんしがいでん)

前漢の韓嬰(かんえい)による書物である。さまざまな事柄や故事を記し、関連する『詩経』の文句を引いて説明したもので、説話集に近い。現行本は10巻からなる。


漢書(かんじょ)

中国後漢の章帝の時に班固・班昭らによって編纂された前漢のことを記した歴史書。二十四史の一つ。「本紀」12巻・「列伝」70巻・「表」8巻・「志」10巻の計100巻から成る紀伝体で、前漢の成立から王莽政権までについて書かれた。『後漢書』との対比から前漢書ともいう。


間情偶寄(かんじょうぐうき)

中国・清の時代に李漁(笠翁)が作成した、漢籍。


官箴(かんしん)

中国,宋の呂本中の撰。1巻。官吏の鑑戒とすべきもの 33をあげた官吏心得。中国,地方行政にあずかる官吏が心得るべき事柄を記した書物一般をさす。


顔真卿(がんしんけい)

顔 真卿は、唐代の政治家・書家。字は清臣。本貫は琅邪郡臨沂県。中国史でも屈指の忠臣とされ、また唐代随一の学者・芸術家としても知られる。


観心略要集(かんじんりゃくようしゅう)

平安中期に源信が作成した仏教書。


韓非子(かんぴし)

中国戦国時代の法家である韓非の著書。内容は春秋戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるものである。


観仏三昧海経(かんぶつざんまいかいきょう)

一〇巻。『観仏三昧経』ともいう。サンスクリット語、チベット語訳はなく、仏駄跋陀羅(ぶっだばっだら)による漢訳のみ現存する。仏涅槃後の衆生のために釈尊の色身の観想、大慈悲に満ちた仏心と仏の生涯の諸場面への念想、仏像の観察、さらに過去七仏、十方仏の念仏等を説く。観仏三昧によって釈尊を中心とした諸仏との見仏を実現しようとするもの。観仏の背景には『般若経』や『華厳経』の思想、唯心や如来蔵の思想がうかがわれる。『観経』とは観仏の教旨に相似するものがある。


観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)

大乗仏教の経典の一つ。別名『観無量寿仏経』、『無量寿仏観経』、『無量寿観経』ともいい、『観経』と略称される。 サンスクリット原典、チベット語訳が発見されていないため、中央アジア撰述説と中国撰述説のふたつがある。


韓愈(かんゆ)

中国唐代中期を代表する文人・士大夫である。字は退之。孟州河陽県の人。本貫は南陽郡。


顔氏家訓(がんしかくん)

中国北斉の顔之推が著した家訓、つまり子々孫々に対する訓戒の書である。全7巻。


義山雑纂(ぎざんざっさん)

晩唐詩人、李商隠著者の中国書物。


魏志(ぎし)

中国の歴史書「三国志」のうち、魏の国に関する史実を記した部分の通称。30巻。「蜀志しょくし」「呉志」とともに、晋の陳寿の著。魏書。


魏書(ぎしょ)

中国北斉の魏収が編纂した北魏の正史である。『北魏書』、『後魏書』とも。二十四史の一。構成は、本紀14巻、列伝96巻、志20巻で、全130巻からなる紀伝体。本紀と列伝の部分は、554年に、志の部分は、559年に成立した。


帰田録(きでんろく)

【佚事小説】より
…その自序にいうように〈事実を紀し物理を探り疑惑を弁じ勧戒を示し風俗を採り談笑を助くるは則ち之を書す〉という態度で記録されたもの。


虚堂録(きどうろく)


教行信証(きょうぎょうしんしょう)

浄土真宗を開かれた親鸞聖人の主著。『教行信証』は6巻からなり、親鸞聖人の教えのすべてが書かれていますので、浄土真宗の根本聖典とか「御本典(ごほんでん)」ともいわれます。親鸞聖人が52歳のとき、茨城県の稲田の草庵で一応の完成を見られましたが、生涯手元に置かれ、心血を注いで加筆修正を重ねられた畢生の大著です。


曲洧旧聞(きょくいきゅうぶん)

著作者 朱弁(1085年—1144年)


滝沢馬琴(きょくていばきん)

滝沢馬琴(1767~1848)。 ぺンネームとして曲亭馬琴【きょくていばきん】を名乗り、江戸時代後期に読本【よみほん】といわれる小説の作者として活躍【かつやく】した人物です。 代表作には『南総里見八犬伝【なんそうさとみはっけんでん】』や『椿説弓張月【ちんせつゆみはりづき】』があり、二作とも歌舞伎化されています。


儀礼(ぎらい)

《儀礼(ぎらい)》の〈喪服伝〉は子夏の作とされ,《礼記(らいき)》の〈楽記篇〉には子夏と魏の文侯との問答の形で,音楽の政治的効用が説かれているが,いずれも彼の学派あるいは後学の徒のものであろう。


近古史談(きんこしだん)

江戸後期の歴史書。四巻。大槻磐渓著。安政元年(一八五四)成立、元治元年(一八六四)刊。「常山紀談」「武辺雑談」「武将感状記」「太閤素生記」などに見える英主、名将、忠臣の逸話一三〇条を漢訳し、各条ごとに短評を加えたもの。


金史(きんし)

元朝のトクト(脱脱)らの撰になる金代の歴史書(紀伝体)である。本紀19巻・志39巻・表4巻・列伝71巻の通計135巻。


孔叢子(くぞうし)

古代中国の儒家の書物。秦漢から魏晋の間頃に成立した。全23篇。


旧唐書(くとうじょ)

中国五代十国時代の後晋出帝の時に劉昫・張昭遠・賈緯・趙瑩らによって編纂された歴史書。二十四史の一つ。唐の成立から滅亡までについて書かれている。 当初の呼び名は単に『唐書』だったが、『新唐書』が編纂されてからは『旧唐書』と呼ばれるようになった。


経学歴史(けいがくれきし)

『経学歴史』(けいがくれきし)は、1907年に清の皮錫瑞が著した経学の通史を記した書籍。湖南思賢書局より出版されている。


荊浩(けいこう)

中国唐末・五代後梁の山水画家である。字は浩然。孟州済源県の出身。華北山水の祖とされる。中原の混乱を避け、太行山中の洪谷山に隠れ住んだといわれる。唐代において発展を遂げた、華北の呉道玄の筆線と、江南の項容の水墨による山水画表現を統合し、以降の華北山水画隆盛の基礎を作り上げたと考えられる。


経国集(けいこくしゅう)

『経国集』は、平安時代初期の天長4年、淳和天皇の命により編纂された勅撰漢詩集。全20巻。良岑安世、菅原清公らが編纂。作者は、淳和天皇、石上宅嗣、淡海三船、空海ら176人。なお、現存するのは第1巻など計6巻。先行の勅撰集から抜け落ちたものを補い、8世紀初頭以後の詩のほかに、賦・序・対策の漢文も含まれている。


景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)

中国北宋代に道原によって編纂された、禅宗を代表する燈史。 過去七仏から天台徳韶門下に至る禅僧その他僧侶の伝記を収録している。多くの禅僧の伝記を収録しているため、俗に「1,700人の公案」と呼ばれているが、実際に伝のあるものは965人である。


芸文類聚(げいもんるいじゅう)

『芸文類聚』は、中国の唐代初期に成立した類書である。武徳7年、欧陽詢らが、高祖の勅を奉じて撰した。100巻。隋代の『北堂書鈔』、唐代の『初学記』、『白氏六帖』と共に「四大類書」と称せられる。


月性(げっしょう)

月性は、江戸時代末期の尊皇攘夷派の僧。周防国大島郡遠崎村、妙円寺の住職。諱は実相。字は知円。号は清狂・烟渓・梧堂。贈正四位。


月蝕(げっしょく)

盧仝(ろ・どう、生年不詳-835年)は中国・唐代中期の詩人。范陽(北京市)の出身。出世の志なく、若いときから少室山(河南省)に隠棲して学問を究めた。
諫議大夫に召されたこともあるが辞して仕えなかった。代表作『月蝕詩』は、当時の皇帝、それを取り巻く宦官等の権力争いを810年11月にあった月蝕に例え風刺した。また『走筆謝孟諫議寄新茶』は友人の孟諫議からお茶をもらった際の感謝を表し、中でも一碗~七碗まで飲んだ時の表現は有名、この詩も終盤の数行は地位の高い人は人民の苦しい暮らしが解るはずがない等と風刺を効かせています。


毛吹草(けふきぐさ)

江戸時代の俳諧論書。編者は松江重頼。1645年(正保元年)刊行、7巻5冊。貞門派の俳論の基本文献と位置づけられる。


元史(げんし)

元について書かれた歴史書。 清の乾隆帝が定めた二十四史の一。編纂者は宋濂・高啓など。本紀47、表8、志58、列伝97の計210巻からなる紀伝体。成立は明の1369年。収録年代はチンギス・カンがイェケ・モンゴル・ウルスを建国した1206年から、順帝トゴン・テムルが大都を放棄した1367年まで。


言志録(げんしろく)

江戸後期の倫理書。一巻。佐藤一斎著。文政七年(一八二四)刊。死生、宇宙、政治、孝などに関する随想二四六章を収め、修身、求道を説いたもの。為政者の心術を多く説き、行動の原理を「必然」性に求めている。朱子の「近思録」の体裁に影響されているが、危機に処する覚悟を説く処には陽明学的な考えも見られる。続編の「言志後録」天保六年(一八三五)刊、「言志晩録」嘉永三年(一八五〇)刊、「言志耋(てつ)録」嘉永七年刊と共に言志四録と称される。


原人論(げんにんろん)

中国,唐の僧圭峰宗密 (しゅうみつ) の著。ただしくは『華厳原人論』という。1巻。韓愈の原人の説に対し,華厳宗の宗旨によって,人間の起源を考究し,仏教が儒教や道教などよりもすぐれているゆえんを説明している。


源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)

軍記物語の『平家物語』の異本のひとつ。48巻。著者不明。読み本系統に分類される。


孝経(こうきょう)

中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。 孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。


孔子家語(こうしけご)

『論語』に漏れた孔子一門の説話を蒐集したとされる古書。10巻。 『漢書』芸文志論語部に「孔子家語二十七巻」とあるが、その内容に関してはほとんど伝わらず、27巻本はその後程なくして散逸したと見られている。顔師古の注では、伝世本に非ずとしている。


侯鯖録(こうせいろく)

八巻。宋(そう)の趙徳麟(ちょうとくりん)の著。故事・詩話などを雑記する。


亢倉子(こうそうし)


高僧伝(こうそうでん)

一般名詞として、高僧の伝記、あるいは列伝を指して言う場合もあるが、固有名詞としては、中国の梁の慧皎の撰した中国伝来以来、梁代までの高僧の伝記を集めたものを指す。全14巻、519年成立。また「梁高僧伝」ともいう。


公孫竜子(こうそんりゅうし)

【堅白論】より
…中国,戦国期の名家,公孫竜の論理をいう。現在の《公孫竜子》によると,〈堅く,白い石〉は,手にふれて知る〈堅さ〉と目でみて知る〈白さ〉に分析でき,この二者は実在としてでなく〈石〉に内蔵され,ヒトの〈神〉によって知覚される〈石〉の属性である。1物体を2個の概念に分析して,個物の具体認識の方法を論じたことで,〈白馬非馬論〉とともに,のちに名家の二大詭弁とされた。


黄庭経(こうていぎょう)

道教の経典。魏夫人の伝えた黄庭内景経、王羲之(おうぎし)が写して鵝と交換したという黄庭外景経、また、黄庭遁甲縁身経、黄庭玉軸経の計四種それぞれの俗称。伝王羲之筆の黄庭外景経は法帖(ほうじょう)で一字約一センチメートル四方の楷書で書かれ、書の手本として重要視される。


黄庭堅(こうていけん)

中国北宋の書家・詩人・文学者である。洪州分寧県の人。 字は魯直、号は山谷道人、涪翁などがある。黄山谷と呼ばれることが多い。宋代の詩人においては蘇軾・陸游と並び称され、書家としては蘇軾・米芾・蔡襄とともに宋の四大家に数えられる。


高駢(こうべん)

幽州出身。元和初の功臣南平郡王に封じられた高崇文 の孫で、代々禁衛に仕えた家柄の出で、若い時から文芸に秀で儒者たちと交遊し理・道を語りあった。 憲宗皇帝時代の名將として知られる。 また晩唐の詩人として『山亭夏日』などの作品で知られる。


孔融(こうゆう)

孔 融は、中国後漢末期の政治家、儒学者。字は文挙。孔子20世の孫に当たる。孔子と同じく青州魯国曲阜県の出身である。父は孔宙。兄は孔褒。子の名は不詳。娘は羊衜の妻。


紅楼夢(こうろうむ)

清朝中期乾隆帝の時代に書かれた中国長篇章回式白話小説。原本の前80回はなお残っており、完本は114回に達しなかったと推定される。今流通している前80回が曹雪芹の原文、後40回は高鶚の続作といわれている。


顧愷之(こがいし)

夏の入道雲が大空につくる珍しい峰の形のこと。


古楽府(こがふ)

六朝 (りくちょう) 以前に作られた古い楽府。唐代の新楽府に対していう。


古今集(こきんしゅう)

『古今和歌集』とは、平安時代の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの。略称を『古今集』という。


国語(こくご)

中国春秋時代を扱った歴史書である。著者は『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明であると言われているが定かではない。実際は戦国末期の史書であるという説もある。だが、古くから『春秋左氏伝』の「外伝」であると言われており(『漢書』の中では「春秋外伝」という名称で呼ばれている)、両者には何らかの関係があると考えられている。


国史略(こくしりゃく)

江戸後期の歴史書。五巻。岩垣松苗著。文政九年(一八二六)刊。神代から天正一六年(一五八八)後陽成天皇の聚楽第行幸まで、編年体による歴史を漢文で述べ、有名な人物の略伝や著書を付記したもの。谷寛得撰、小笠原勝修補の「続国史略」が書き継がれた。


国朝漢学師承記(こくちょうかんがくししょうき)

全8巻。清(しん)の江藩(こうはん)(1756―1831。字(あざな)は子屏(しへい)、号は鄭堂(ていどう)、江蘇(こうそ)省甘泉県〈揚州〉の人)の著。1818年(嘉慶23)、両広総督であった阮元(げんげん)の幕下にいて刊行、版を重ね『国朝経師経義目録』『国朝宋学淵源記(そうがくえんげんき)』を付す。


古今楽録(ここんがくろく)

著作者名 (南朝陳) 友匠。


古今詩話(ここんしわ)


胡銓(こせん)

中国、南宋の政治家。吉州廬陵県 (江西省) の人。字は邦衡。建炎2 (1128) 年進士に及第、累進して枢密院編修官、工部侍郎、資政殿大学士となった。宰相秦檜 (しんかい) と対立した対金主戦論者。文集『澹菴 (たんあん) 集』がある。


五朝名臣言行録(こちょうめいしんげんこうろく)

朱熹(しゆき)(子)の著。〈五朝名臣言行録〉10巻(前集),〈三朝名臣言行録〉14巻(後集)の総称。前者は宋初より英宗朝に至る65人,後者は英宗朝から徽(き)宗朝に至る42人の伝記をそれぞれ収める。


金剛経(こんごうきょう)

仏教経典。正しくは『金剛般若波羅蜜経(はんにゃはらみつぎょう)』という。サンスクリット本、チベット本のほかに、漢訳本は6種あり、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳がもっとも古く名高い。紀元前後ごろからおこった大乗仏教運動の先駆をなす般若経典に属し、小さな経であり空(くう)の語はみえないが、その思想、すなわちいっさいのものにとらわれず超越すべきことが非常に巧みに説かれている。中国・日本でも、とくに禅の系統でこの経典が大いにもてはやされた。


金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)

正式名称:金剛般若波羅蜜経とは、大乗仏教の般若経典の1つ。略して金剛経とも言う。その長さから、「三百頌般若経」等とも呼ばれる。その諸行無常を説いた節は、夢幻泡影、泡沫夢幻と抜粋され四字熟語化された。


呉越春秋(ごえつしゅんじゅう)

後漢初期の趙曄(ちょうよう)によって著された、春秋時代の呉と越の興亡に関する歴史書。


後漢書(ごかんじょ)

中国後漢朝について書かれた歴史書で、二十四史の一つ。紀伝体の体裁を取り、本紀10巻・列伝80巻・志30巻の全120巻からなる。「本紀」「列伝」の編纂者は南朝宋の范曄で、「志」の編纂者は西晋の司馬彪。


呉象之(ごしょうし)

「少年行」と題する七言絶句。


五灯会元(ごとうえげん)

中国南宋代に成立した禅宗の灯史である。 1252年、大川普済撰、20巻。 「五灯録」と総称される、 『景徳伝灯録』 『天聖広灯録』 『建中靖国続灯録』 『聯灯会要』 『嘉泰普灯録』

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「さ行」四字熟語の典拠・出典

崔駰(さいいん)

中国、後漢の人。涿郡・安平(河北省深県)の人。字は亭伯。その祖父崔篆(さいてん)は王奔に寵遇されたのを恥じ、後漢に仕えず、父崔毅も隠居して仕えなかった。


歳時広記(さいじこうき)

宋代の陳元靚による「歳時広記」は、社会風俗の変遷を描いたもので、漢、魏、晋、南北朝から隋、唐代に至る時代の天文、暦法、農学、年中行事などに関する多くの文献を理解するうえで重要な意味を持つ。中国の年中行事の伝播と発展に対して大きな影響を与え、日本の年中行事の成立にも影響を及ぼした。


斎藤拙堂/斎藤正謙(さいとうせつどう)

斎藤拙堂(斎藤正謙)は、幕末の朱子学者。諱は正謙、字は有終、通称は徳蔵。号は拙堂・鉄研。斎藤拙堂は、名を正謙といいますが、寛政九年(一七九七)に江戸で生まれ、長じてから幕府の昌平黌で学問を学び、二十四歳のとき藩校講師加りに任ぜられ津に来ました。文政六年(一八二三)講官となり、更に藩主高猷の侍読も兼ね、藩主に従ってしばしば江戸に行き、諸名士と交わり見聞を広め、その名をあらわしてきました。


西遊記(さいゆうき)

中国で16世紀の明の時代に大成した白話小説で、唐僧・三蔵法師が白馬・玉龍に乗って三神仙、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に従え、幾多の苦難を乗り越え天竺へ取経を目指す物語、全100回。中国四大奇書に数えられる。


左思(さし)

中国西晋の文学者。字は太沖。斉国臨淄県の人。門閥の後ろ盾のない寒門の出身であり、官途は不遇だったが、文才に優れ、代表作『三都賦』は「洛陽の紙価を高からしむ」の故事の由来となった。妹の左棻も詩文の才能があり、司馬炎の妃となった。


薩都剌(さっとら)

薩都剌は、中国元代の詩人・画家・書家。字は天錫、号は直斎。ムスリム家庭の出身でいわゆる色目人だが、優れた漢詩を残し、元代最高の漢詩人と呼ばれることもある。名は、「サドゥラ」に類する音の漢字音写とみられ、薩都拉とも書く。生没年は異説も多く、1272年生まれ1340年没とも、1308年生まれ1359年没とも。


三慧経(さんえきょう)

大品経の三慧品


三国志(さんごくし)

中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代の興亡史であり、蜀・魏・呉の三国が争覇した三国時代の歴史を述べた歴史書でもある。撰者は西晋の陳寿。


三国志演義(さんごくしえんぎ)

中国の明代に書かれた、後漢末と蜀・魏・呉による三国時代を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。四大奇書の一つに数えられる。書名については下記。 著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。


参同契(さんどうかい)

参同契は、中国唐代の禅僧石頭希遷による禅の詩。 参は現象、同は平等、契は一致という意味で、現象と平等とは一致しているという意味となる。 曹洞宗では毎朝の仏祖諷経で『宝鏡三昧』と交互に読まれる。


三略(さんりゃく)

中国の兵法書。「武経七書」のひとつ。『黄石公記』『黄石公三略』とも称される。


三論玄義(さんろんげんぎ)

中国、隋(ずい)代の仏書。1巻。三論の教学を大成した嘉祥大師(かじょうだいし)吉蔵(きちぞう)の著作で、揚州(江蘇(こうそ)省)慧日(えにち)道場に滞在中(597~599ころ)の作。


爾雅(じが)

爾雅は、中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学の書。 儒教では周公制作説があるが、春秋戦国時代以降に行われた古典の語義解釈を漢初の学者が整理補充したものと考えられている。『漢書』芸文志には3巻20篇と記載されているが、現行本は19篇である。


止観大意(しかんたいい)

著者は湛然 述。


史記(しき)

中国前漢の武帝の時代に、司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。二十四史の一つで、正史の第一に数えられる。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。


詩経(しきょう)

全305篇からなる中国最古の詩篇。儒教の経典である経書の一つに数えられる。 先秦時代には単に「詩」と呼称されたが、後漢以降、毛氏の伝えた『詩経』のテキスト・解釈が盛行したため、「毛詩」という名で呼ばれるようになった。宋代以降に経典としての尊称から『詩経』の名前が生まれた。


資治通鑑(しじつがん)

中国北宋の司馬光が、1065年の英宗の詔により編纂して1084年に完成した、編年体の歴史書。全294巻。もとは『通志』といったが、神宗により『資治通鑑』と改名された。『温公通鑑』『涑水通鑑』ともいう。


児女英雄伝(じじょえいゆうでん)

『児女英雄伝』とは中国・清末期の文康による武侠小説。全40回から構成される。 武侠小説とは当時の大衆小説で、そのヒロインである十三妹は戦うヒロインの代表である。多くの読者を得て、その後何度も映画化・ドラマ化された。中国、台湾、香港では京劇などの人気演目であり、女侠といえば十三妹というくらい有名である。


四書集注(ししょしっちゅう)

南宋の儒学者朱熹の主著で、「四書」に関する注釈を収集整理し、さらに朱熹自身の注釈を加えた『大学章句』、『中庸章句』、『論語集注』、『孟子集注』の4編の注釈書。朱子学に重視され、宋代以降の中国近世社会でもっとも広く読まれた書とも評価される。『四書章句集注』ともされる。


詩藪(しそう)

明の胡応麟の撰述、古今の詩を評釈した詩論書。我が国においては、貞享三年に刊行され、独自の見識で歴代の作者を通論、また古詩近体を明弁したことは、詩史の先駆をなすものである。


詩品(しひん)

中国南北朝時代の南朝梁の鍾嶸が編纂した文学評論書。全3巻。『梁書』『隋書』経籍志などによると、本来の書名は『詩評』であり、現在の書名である『詩品』が通称として定着するのは宋代以後である。


釈月性(しゃくげっしょう)

月性(げっしょう)(1817-1858)。幕末の尊皇攘夷派の僧。字は智円。周防国大島郡遠崎村、妙円寺の第九代住職。長崎に遊学時にオランダ船を見て海防の必要性を実感。幕府に訴えまくったので「海防僧」と呼ばれます。


拾遺記(しゅういき)

中国の伝説を集めた志怪(しかい)の書。 10巻。 作者は後秦(こうしん)時代(4世紀)の王嘉(おうか)。 三皇五帝から西晋(せいしん)末、石虎(せきこ)の事に及ぶが、原本は滅び、現在『漢魏叢書(かんぎそうしょ)』などに収められているものは、梁(りょう)の蕭綺(しょうき)が再編したものである。


周書(しゅうしょ)

『周書』は、唐の令狐徳棻らが太宗の勅命によって撰した紀伝体の断代史で、二十四史の一つである。西魏、北周両朝の歴史を記録した正史である。『北周書』、『後周書』とも呼ぶ。50巻、636年に完成した。


周敦頤(しゅうとんい)

周 敦頤は、中国北宋時代の儒学者。字は茂叔。号は濂渓。道州営道県の出身。


十八史略(じゅうはっしりゃく)

南宋の曾先之によってまとめられた初学者向けの歴史読本である。三皇五帝の伝説時代から南宋までの十八の正史を要約し、編年体で綴っている。「十八史」とは、『史記』から『新五代史』までの17史に曾先之が生きた宋一代を加えたものを意味している。


周亮工(しゅうりょうこう)

周 亮工は、中国明末から清初にかけての文人。蔵書家としても知られ、特に印章を好んだ。字は元亮、号は櫟園・減斎。開封府祥符県に生まれ、南京に住んだ。


朱熹(しゅき)

中国南宋の儒学者。字は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄州病叟・遯翁など。別号として考亭・紫陽がある。諡は文公。朱子と尊称される。本籍地は歙州婺源県。南剣州尤渓県に生まれ、建陽の考亭にて没した。儒教の精神・本質を明らかにして体系化を図った儒教の中興者であり、「新儒教」の朱子学の創始者である。


朱子語類(しゅしごるい)

中国の宋代、同時代の儒学者である朱熹(朱子)がその門弟たちと交わした言葉を、その没後に集成し門類に分類した書物。


朱震亨(しゅしんこう)

中国の医家。金元医学(きんげんいがく)の四大家の一人。婺州(ぶしゅう)義烏(ぎう)(浙江(せっこう)省金華県)の人。字(あざな)は彦脩(げんしゅう)、丹渓(たんけい)と号した。幼時から学問を好み、経学を修めて官吏の登用試験のための学問を教える挙子業(きょしぎょう)となった。


周礼(しゅらい)

『周礼』は、儒教経典の一つで、『礼記』『儀礼』とともに「三礼」を構成する書物である。 正確な成立時期は不明である。『周礼』は偽書の疑いがあり、紀元前11世紀に周公旦が作ったとも、前漢代に劉歆が作ったともされる。


荀子(じゅんし)

中国戦国時代末の思想家・儒学者。諱は況。尊称して荀卿とも呼ばれる。漢代には孫卿とも呼ばれた。


春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)

『春秋』の注釈書であり、『春秋左氏伝』・『春秋穀梁伝』と並んで、春秋三伝の一つとされる。『公羊伝』は斉の地に栄えた学問と考えられており、「復讐説」などの春秋学の根幹となる思想を解明した。


春秋穀梁伝(しゅんじゅうこくりょうでん)

『春秋穀梁伝』は、『春秋公羊伝』『春秋左氏伝』と並ぶ春秋三伝の一つ。正確には経書ではないが、準経書扱いされる書物。十三経の一つであるが、五経には入らない。経学の重要書物。


春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)

孔子の編纂と伝えられている歴史書『春秋』の代表的な注釈書の1つで、紀元前700年頃から約250年間の魯国の歴史が書かれている。通称『左伝』。『春秋左氏』『左氏伝』ということもある。現存する他の注釈書『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』とあわせて春秋三伝と呼ばれている。


春秋繁露(しゅんじゅうはんろ)

前漢の董仲舒の作とされる書物。『春秋公羊伝』の説に従いつつ、君主権の強化や革命説を重視し、また災異説・陰陽五行説についても述べる。


春渚紀聞(しゅんしょきぶん)

(宋)何薳撰


遵生八牋(じゅんせいはっせん)

中国の随筆書。明の高濂 (こうれん) 著。 20巻。万暦 19 (1591) 年の自序がある。日常生活の修養,養生に関する万端のことが述べられ,また歴代隠逸者 100人の事跡が記されており,文人の趣味生活に関する基礎的な文献とされている。


長阿含経(じょうあごんきょう)

仏教の漢訳『阿含経』の1つ。


小学(しょうがく)

中国宋代に、朱熹 (しゅき) の門人劉子澄 (りゅうしちょう) が編集した初学者用の教科書。全6巻。1187年成立。日常の礼儀作法や格言・善行などを古今の書から集めたもの。江戸時代に用いられた。


貞観政要(じょうがんせいよう / ぢょうがんせいよう)

中国唐代に呉兢が編纂したとされる太宗の言行録である。題名の「貞観」は太宗の在位の年号で、「政要」は「政治の要諦」をいう。全10巻40篇からなる。 中宗の代に上呈したものと玄宗の代にそれを改編したものと2種類があり、第4巻の内容が異なる。


宵光剣伝奇(しょうこうけんでんき)


蕭統(しょうとう)

蕭 統は、南朝梁の皇族。字は徳施。襄陽で生まれた。武帝蕭衍の長男で皇太子に立てられていたが、父に先立って死去した。昭明太子の諡号で知られる。母は貴嬪丁令光。廃帝豫章王蕭棟の祖父で、後梁の宣帝蕭詧の父である。


正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)

正法眼蔵は、主に禅僧である道元が執筆した仏教思想書を指す。正法眼蔵という言葉は、本来は仏法の端的な肝心要の事柄を意味する。禅家はこれをもって教外別伝の心印となす。著者によって大別すると、次の3種類に分かれる。 『正法眼蔵』 – 3巻。大慧宗杲著 『正法眼蔵』 – 75巻+12巻+拾遺4巻。道元著


正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)

禅僧で曹洞宗開祖道元禅師の2歳年長の弟子で、永平寺2世である孤雲懐奘が記した曹洞禅の語録書である。嘉禎年間に成立した。 懐奘は約20年間にわたり師・道元に近時し、道元が折にふれ弟子たちに説いた言葉や、道元との問答を克明に筆記したのが『正法眼蔵随聞記』である、懐奘没後に弟子たちがまとめた。


諸葛亮(しょかつりょう)

中国後漢末期から三国時代の蜀漢の武将・政治家。字は孔明。亮は諱。 司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠がある。 妻は黄夫人。


書経(しょきょう)

中国古代の歴史書で、伝説の聖人である堯・舜から夏・殷・周王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されている。『尚書』または単に『書』とも呼ばれ、儒教の重要な経典である五経の一つでもある。


蜀志(しょくし)

『蜀志』は、『魏志』や『呉志』と合わせて『三国志』を形成する書のひとつである。


続日本紀(しょくにほんぎ)

平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らによって延暦16年に完成した。文武天皇元年から桓武天皇の延暦10年まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。略称は続紀。


書言故事(しょげんこじ)

中国の類書。12巻。宋の胡継宗の撰。古来の有名な故事成語を十二支に分類し、解釈を加えたもの。


新五代史(しんごだいし)

北宋の欧陽脩による歴史書。元の名を『五代史記』といい、皇祐5年書となった。私撰であるため家に蔵されていたが、撰を終えた後に朝廷に献上された。乾隆のとき、薛居正の『旧五代史』と共に正史とするため、欧陽脩の史は『新五代史』と改称された。


成唯識論(じょうゆいしきろん)

『成唯識論』は、法相宗が所依とする論典の一つ。10巻からなる。 「ヴィジュナプティ・マートラター」とは「唯識」、「シッディ」とは「成就」、総じて「唯識による成就」の意。 世親が著した『唯識三十頌』を護法が注釈したもので、中国の唐代に玄奘が漢訳した唯識の論典。


徐積(じょせき)

天聖六年(1028)~崇寧二年(1103)字・仲車楚州山陽の人。


徐陵(じょりょう)

南朝梁から陳にかけての文学者・政治家。字は孝穆。本貫は東海郡郯県。徐摛の子で、徐徳言の祖父。


詩話総亀(しわそうき)

中国の詩話集。北宋末の阮閲の編。 10巻。宣和5 (1123) 年成立。のち別人の手によって改編されて紹興 31 (61) 年に刊行された。原名『詩総』。歴代の詩に関する挿話を集め,事項によって 106に分類配列したもの。


新楽府(しんがふ)

六朝以前の楽府に対し、唐代以後の新しい楽府。特に、白居易が、楽府は民衆の声を代弁し、為政者の参考となるべきであるとの主張のもとに五〇首の新楽府を作ったのに基づき、人民の喜怒をうたい、時弊を諷刺する楽府をさす。


申鑒(しんかん)

中国の儒家書。後漢の荀悦(じゅんえつ)撰。明の黄省曽注。政体・時事・俗嫌・雑言上下の四篇五巻からなる。当時政権が曹操へ移行するのを憂えて著わされたといわれ、漢の政治のあり方、讖緯(しんい)を排すべきこと、物の道理について述べ、献帝に奉ったもの。「荀子」に対して小荀子といわれる。


新語(しんご)

新しくつくられたり、外国語から新たに取り入れられたりした語で、社会的習慣として確立したもの。そのときどきの人々の関心・興味などに適合して、爆発的に使用される新語は、とくに流行語とよばれるが、その多くは定着することなく忘れ去られてしまう。新語が生ずる理由としては、大きく三つの場合が考えられる。


新五代史(しんごだいし)

北宋の欧陽脩による歴史書。元の名を『五代史記』といい、皇祐5年書となった。私撰であるため家に蔵されていたが、撰を終えた後に朝廷に献上された。乾隆のとき、薛居正の『旧五代史』と共に正史とするため、欧陽脩の史は『新五代史』と改称された。


清史稿(しんしこう)

『清史稿』は、中国の辛亥革命による中華民国成立後に、趙爾巽が中心となって約100人余りの学者が編纂した二十四史を継ぐ清朝1代の未定稿の紀伝体歴史書。「二十五史」・「二十六史」と称する場合には同書が数えられる。


晋書(しんじょ)

中国晋朝について書かれた歴史書。二十四史の一つ。唐の貞観20年に太宗の命により、房玄齢・李延寿らによって編纂が開始され、貞観22年に完成した。帝紀十巻・載記三十巻・列伝七十巻・志二十巻によって構成される紀伝体。


岑参(しんしん)

中国,盛唐の詩人。 荆州江陵(湖北省)の人。 天宝3年(744)の進士で,嘉州(四川省)の刺史をつとめたことから岑嘉州と呼ばれる。 西域の風物や従軍生活,異民族の文化を題材とした作品に秀作が多く,辺塞詩人の異名を取る。


沈佺期(しんせんき)

沈 佺期は、中国初唐の文学者。字は雲卿。相州内黄県の人。本貫は呉興郡武康県。宋之問とともに武則天の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の創始者として律詩の詩型を確立した。


神仙伝(しんせんでん)

中国の西晋・東晋時代の葛洪の著したと伝えられる書。ただし、『隋書』経籍志や『抱朴子』の自序・内篇の記述から葛洪が『神仙伝』を記したことは確かだが、現行本は葛洪原作のものから改変が加えられ、収められた仙人のメンバーや文章は旧本とは異なるとする見方が強い。全10巻。


真宗(しんそう)

真宗(しんそう)は、北宋の第3代皇帝(在位:997年5月8日 – 1022年3月23日)。


新唐書(しんとうじょ)

中国の唐代の正史。五代の後晋の劉昫の手になる『旧唐書』と区別するために、『新唐書』と呼ぶが、単に『唐書』と呼ぶこともある。 北宋の欧陽脩・曾公亮らの奉勅撰、225巻、仁宗の嘉祐6年の成立である。


沈約(しんやく)

沈 約は、中国南朝を代表する文学者、政治家。字は休文。諡は隠。本貫は呉興郡武康県。


水滸伝(すいこでん)

明代の中国で書かれた長編白話小説。『西遊記』『三国志演義』『金瓶梅』とともに「四大奇書」に数えられる。 施耐庵が、それまでの講談を集大成して創作されたとされる。なお、「滸」は「ほとり」の意味であり、『水滸伝』とは「水のほとりの物語」という意味であり、「水のほとり」とは、本拠地である梁山泊を指す。


隋書(ずいしょ)

二十四史の一つで第13番目にあたる。中国史の中における隋代を扱った歴史書。志の部分だけは通史である。


水経(すいけい)

中国の水系に関する地理書。『四庫全書』には史部地理類の中に収められている。


水経注(すいけいちゅう)

中国北魏代の地理書である。40巻。撰者は酈道元、延昌4年の成立と推定される。その名の通り、本書は『水経』に対する注釈であり、本文も、「経」文に対する「注」文で構成されている。


菅原道真(すがわらのみちざね)

日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで上り詰めた。しかし謀反を計画したとして、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。


説苑(ぜいえん)

前漢の劉向の撰ないし編による故事・説話集である。


西京雑記(せいけいざっき)

前漢の出来事に関する逸話を集めた書物。著者は晋の葛洪ともされるが、明らかでない。 その内容の多くは史実とは考えにくく、小説と呼んだほうが近い。


醒世恒言(せいせいこうげん)

中国,明の口語章回小説集。馮夢龍 (ふうむりょう) の編。 40巻。天啓7 (1627) 年刊。馮夢龍が家に蔵していた話本 (わほん) ,擬話本のテキストを校訂増補し,各巻1編,計 40編をまとめて出版したもの。同じ過程で相次いで出版された『喩世明言』『警世通言』とともに「三言」と呼ばれ,また凌濛初 (りょうもうしょ) の編著に成る「二拍」と合せて「三言二拍」と総称される。


西廂記(せいそうき)

元の王実甫による雑劇で、元曲の代表作である。正式な題は『崔鶯鶯待月西廂記』。全 21幕。山西省のある名寺院でめぐり合った旅の書生張きょう (ちょうきょう) と宰相の遺児崔鶯鶯 (さいおうおう) が,鶯鶯の侍女紅娘のはからいで幾多の曲折ののち結ばれる物語。


石林詩話(せきりんしわ)

【詩話】より
…13世紀前半,南宋末に出現した厳羽の《滄浪詩話》(詩弁・詩体・詩法・詩評・考証の5編から成る)がより早く,下っては17世紀,清の葉燮《原詩》がそれである。 詩話は無数に生まれたが,詩論史上見落とすことのできぬ作としては,上記のほか,宋代では范温《潜渓詩眼》,葉夢得《石林詩話》,張戒《歳寒堂詩話》,明代では王世貞《芸苑巵言(しげん)》,清代では袁枚(えんばい)《随園詩話》,趙翼《甌北(おうほく)詩話》などであろう。【荒井 健】。…


世説新語(せせつしんご)

中国南北朝時代の南朝宋の臨川王劉義慶が編纂した、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた文言小説集。今日『四部叢刊』に収めるものは上中下三巻に分かつが、テクストによってその巻数は二、三、八、十、十一等の異同がある。


世説新語補(せせつしんごほ)

梁の劉孝標(462‐521)が異聞を集めて注を作り,唐代までは単に《世説》または《世説新書》とよばれた。日本で流行した本は明代に補われた《世説新語補》20巻本に拠るが,3巻本からも離れて後世の挿話を多く加えたものである。


説郛(せっぷ)

元末明初の陶宗儀による漢籍叢書。巻数は本来100巻であったらしい。 さまざまな時代の書物を含むが、とくに宋・元の著作が多くあつめられており、他には見えない筆記小説や、元代の貴重な書籍を含んでいる。


説文解字(せつもんかいじ)

最古の部首別漢字字典。略して説文ともいう。後漢の許慎の作で、和帝の永元12年に成立し、建光元年に許慎の子の許沖が安帝に奉った。本文14篇・叙1篇の15篇からなり、叙によれば小篆の見出し字9353字、重文1163字を収録する。漢字を540の部首に分けて体系付け、その成り立ちを解説し、字の本義を記す。


山海経(せんがいきょう)

中国の地理書。中国古代の戦国時代から秦朝・漢代にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書とされる。


銭起(せんき)

銭 起は、中国・唐の詩人。字は仲文。湖州烏程県の出身。


戦国策(せんごくさく)

戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に分類し、編集した書物。前漢の劉向の編。「戦国時代」という語はこの書に由来する。


禅源諸詮集都序(ぜんげんしょせんしゅうとじょ)

中国唐代の僧である圭峰宗密が禅の諸家の文句や偈頌を編集した『禅源諸詮集』(佚書)の序文「都序」であり、この部分のみが伝存する。「教禅一致」を説く、仏教史上重要な文献である。


宣宗(せんそう)

宣宗は、唐朝の第19代皇帝。憲宗の十三男で、穆宗の弟、武宗の叔父に当たる。 その治世に一定の成果を挙げたため、小太宗と呼ばれているが、戦乱で実録が失われたため、その業績の詳細は不明である。 『編年綱目』によると、高麗の太祖王建の祖父王帝建は、宣宗の庶子であった。


宣和画譜(せんながふ)

中国,北宋末,徽宗の宣和内府の収蔵絵画の著録。宣和2 (1120) 年の序がある。 20巻。徽宗の撰ともいわれるが,南宋時代に諸種の著録を集成したものとする説が有力。魏・晋時代からの名画を道釈,人物,宮室,蕃族,竜魚,山水,畜獣,花鳥,墨竹,蔬果の 10部門に分け,各部門の初めに簡単な画論を付して古今の名手をあげ,さらに画家の小伝を記す。叙論および著録された作品には注目すべきものがある。『津逮秘書』『画史叢書』などに収められている。


潜夫論(せんぷろん)

中国の儒家書。一〇巻。後漢の王符(おうふ)撰。桓帝時代(一四七‐一六七)ごろ成立。儒家思想の立場から学問を尊重し、政治の根本を有徳者による徳化に求め、時政世風を批判論述した三六編からなる。


雑阿含経(ぞうあごんきょう)

仏教の漢訳『阿含経』の1つ。


曾鞏(そうきょう)

中国北宋の散文家。字は子固。諡は文定。建昌軍南豊県の出身。唐宋八大家の一人。父は曾易占。兄は曾曅。弟は曾牟・曾宰・曾布・曾肇。


宋史(そうし)

中国の元代に編纂された正史の一つ。宋を扱った紀伝体の史書である。至正5年に完成。元の中書右丞相であったトクトが編纂した。16本紀47巻・15志162巻・2表32巻・197列伝255巻の計496巻。正史の中で最も膨大である。


宋子(そうし)

古代中国戦国時代の諸子百家の一人。宋銒、宋牼、宋栄、宋栄子、子宋子とも呼称される。宋国出身。稷下の学士の一人。孟子と同時期に活動した。尹文と同様の学説を説いた。 諸子百家の一人だが、どの家に属するのか判然としない。道家・名家・墨家・雑家・小説家などのいずれとも解釈される。


荘子(そうじ/そうし)

中国戦国時代の宋の蒙に生まれた思想家で、『荘子』の著者とされ、また道教の始祖の一人とされる人物である。姓は荘、名は周。字は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。曾子と区別するため「そうじ」と濁って読むのが日本の中国文学・中国哲学関係者の習慣となっている。


宋之問(そうしもん)

中国初唐の詩人。字は延清。虢州弘農県あるいは汾州隰城県の人。沈佺期とともに則天武后の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の律詩の詩型を確立した。


宋書(そうしょ)

『宋書』は、中国南朝の宋の60年間について書かれた歴史書。宋・斉・梁に仕えた沈約が南朝斉の武帝に命ぜられて編纂した。本紀10巻・列伝60巻・志30巻の計100巻からなる紀伝体。二十四史の一つ。 南朝宋のうちに何承天・山謙之・蘇宝生・徐爰らが『宋書』を書いており、沈約はそれらを元に作業することができた。


曹松(そうしょう)

中国・唐代末期の詩人。字は夢徴。舒州桐城県の出身。若くして戦乱から逃れ、洪州の西山で隠遁生活を送った。最晩年の70歳を過ぎて科挙の進士試験に合格したが、その後まもなく世を去ったと伝えられる。


曹植(そうしょく)

中国後漢末期から三国時代にかけての人物。字は子建。魏の皇族。豫州沛国譙県の出身。陳王に封じられ、諡が思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた。才高八斗・七歩の才の語源。建安文学における三曹の一人。


捜神記(そうじんき)

4世紀に東晋の干宝が著した志怪小説集。 志怪小説とあるように猿や鳥などの動物、仙人や神様を使って中国の話言葉を本にした短編小説である。成立時期は後漢滅亡後であり政治的には混乱期だが、儒教一辺倒から道家・仏教も入って文化的に多様化した。そして「怪異」も多く語られ、記録された。


曹操(そうそう)

曹 操は、後漢末期の武将・政治家。詩人・兵法家としても業績を残した。字は孟徳、幼名は阿瞞、また吉利。豫州沛国譙県の出身。 後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。廟号は太祖、諡号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。 羅貫中の小説『三国志演義』では敵役・悪役として設定される。


荘南傑(そうなんけつ)


宋濂(そうれん)

中国元末明初の政治家・儒学者・文学者。字は景濂。号は潜渓・無相居・竜門子・玄真子。婺州路浦江県の出身。


滄浪詩話(そうろうしわ)

1230年代に書かれた南宋の詩論書で、宋以降盛んになった「詩話」としては最もその名を知られる。著者は邵武軍邵武県の人の厳羽。字は儀卿。書名はその号である「滄浪逋客」にちなむ。 本書は詩弁・詩体・詩法・詩評・考証の五篇から成り、非常に整然とした体系性を持っている。


続高僧伝(ぞくこうそうでん)

梁の慧皎の『高僧伝』に続けて撰せられた中国の高僧の伝記集である。唐の道宣撰、30巻、645年の成立である。


続幽怪録(ぞくゆうかいろく)


楚辞(そじ)

中国戦国時代の楚地方に謡われた辞と呼ばれる形式の韻文、およびそれらを集めた詩集の名前である。全17巻。その代表作として屈原の『離騒』が挙げられる。中国北方の『詩経』に対して南方を代表する古典文学であり、共に後代の漢詩に流れていく源流の一つとされる。


蘇洵(そじゅん)

蘇 洵は、中国北宋の文人で、唐宋八大家の一人。蘇軾・蘇轍の父。二子と共に三蘇と称せられ、また蘇軾を大蘇、蘇轍を小蘇というのに対して、老蘇と称せられる。 字は明允。老翁井という泉のそばに亭を結んだことから老泉と称された。


素書(そしょ)

著者
(宋)張商英註・(元)王氏直説


蘇軾(そしょく)

中国北宋の政治家、文豪、書家、画家。政治家としての活躍の他、宋代随一の文豪として多分野で業績を残した。文学以外では、書家、画家として優れ、音楽にも通じた。 号は東坡居士、字は子瞻、諡は文忠公。号から、蘇東坡とも呼ばれ、坡公や坡仙などの名で敬慕された。


祖庭事苑(そていじえん)

中国の字典。8巻。宋の睦庵善卿撰。1098〜1110年刊。「雲門録」などの禅宗関係の図書から熟語二千四百余語を採録し、その典拠を示して注釈を加えたもの。


蘇轍(そてつ)

中国北宋の文人・官僚。蘇洵の次男で、蘇軾の三歳下の弟にあたる。字は子由。潁浜遺老と号す。唐宋八大家の一人に数えられる。


蘇武集(そぶしゅう)

蘇武は、前漢時代の人。字は子卿。父は衛尉の蘇建。子は蘇元・蘇通国。兄は蘇嘉。弟は蘇賢。


孫子(そんし)

紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家孫武の作とされる兵法書。武経七書の一つ。古今東西の軍事理論書のうち、最も著名なものの一つである。紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに成立したと推定されている。 『孫子』以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。


孫綽(そんしゃく)

中国三国時代の呉の武将。祖父は孫静。父は孫暠。叔父は孫瑜・孫皎・孫奐・孫謙。弟は孫超・孫恭。子は孫綝・孫拠・孫恩・孫幹・孫闓。甥は孫峻・孫憲。

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「た行」四字熟語の典拠・出典

太上隠者(たいじょういんじゃ)

姓名・事蹟ともに不詳。「太上」は、「最上・最高」の意と「最古・太古」の意とがある。ここでは後者の意か。また、「太上」が自称か他称かも不明。「隠者」は、俗世間の煩わしさから逃れて山中などに隠れて暮らしている人。隠遁者。隠士。隠君。


大智度論(だいちどろん)

大乗仏教中観派の祖である龍樹による、『摩訶般若波羅蜜経』に対する、百巻に及ぶ注釈書である。初期の仏教からインド中期仏教までの術語を詳説する形式になっているので、仏教百科事典的に扱われることが多い。漢訳は鳩摩羅什による。 題名の「智度」とは、「六度」の内の「智慧波羅蜜」、「般若波羅蜜」のこと。


太平御覧(たいへいぎょらん)

中国宋代初期に成立した類書の一つである。同時期に編纂された『太平広記』、『冊府元亀』、『文苑英華』と合わせて四大書と称される。


太平広記(たいへいこうき)

北宋時代に成立した類書のひとつ。『太平御覧』、『文苑英華』、『冊府元亀』とあわせて四大書と称せられる。太宗の勅命を奉じて李昉ら12名が太平興国2年から翌3年にかけて編纂したもので、全500巻、目録10巻。


大慈恩寺三蔵法師伝(だいじおんじさんぞうほっしでん)

唐の高僧・玄奘三蔵(602~664)を指し、本書はその伝記です。玄奘自身が記した『大唐西域記』と共に、中国や西域・インドの事情を知る上でも貴重な文献史料です。全10巻のうち、前半5巻は玄奘によるインド求法の巡礼について、後半5巻は玄奘が帰国した後に経典の漢訳に半生をかけた行状が記されます。


大荘厳論経(だいしょうごんろんきょう)

馬鳴の巧みな文学的修辞によって書かれており、インド古典文学の先駆的意義をもつ文学作品として重要である。


大戴礼(だいたいれい)

中国の経書。85編。そのうち39編が現存。前漢の戴徳撰。漢代以前の諸儒学者の礼説を集成したもの。


大唐新語(だいとうしんご)

中国の小説。一三巻。唐の劉粛撰。武徳~大暦年間(六一八‐七七九)の人物を、その徳性によって匡賛・清廉・孝行など一二門に分類して記述、勧戒の資としたもの。唐世説。


大般若経(だいはんにゃきょう)

仏教経典。『大般若波羅蜜多(はらみった)経』の略称。全600巻。中国、唐の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)訳。この経は、紀元1世紀ごろから個々に成立した般若部の諸経典を集大成した一大叢書(そうしょ)で、16部に分かれ、八十余科の名数をあげて、般若波羅蜜、諸法皆空(かいくう)などを明らかにした般若経典集。


大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみったきょう)

唐代の玄奘三蔵が大乗仏教の基礎的教義が書かれている長短様々な「般若経典」を集大成した経典。通称は『大般若経』で、『般若経』と略称することもある。全16部600巻に及ぶ膨大な経典群である。大正蔵220。


大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)

釈迦の入滅=大般涅槃(だいはつねはん)を叙述し、その意義を説く経典類の総称である。阿含経典類から大乗経典まで数種ある。


太平記(たいへいき)

日本の古典文学作品の1つである。歴史文学に分類され、日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。ジャンルは軍記物語。成立は室町時代。


歎異抄(たんにしょう)

鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書。作者は、親鸞に師事した河和田の唯円とされる。書名は、親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった親鸞の真信に違う異義・異端を嘆いたものである。『歎異鈔』とも。


竹馬抄(ちくばしょう)

室町幕府の管領・斯波義将が子孫のために記した家訓。武家家訓を扱った書物で原文を見ることができる。『群書類従』所収の立原万蔵本書写に永徳3年2月9日とある。序文と十箇条からなる。著者については異説がある。


茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)

江戸時代末期の彦根藩主井伊直弼の著による茶書。茶道における「一期一会」の理念を広めており、茶の湯における主客の深い心構えを提唱している。


中阿含経(ちゅうあごんきょう)

仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝。パーリ語経典の「中部」に相当する。


中庸(ちゅうよう)

儒教において、「四書」の一つであり、またその中心的概念の一つである。


中庸章句(ちゅうようしょうく)

中庸とは、儒教において、「四書」の一つであり、またその中心的概念の一つである。現在「四書」の一つとして広く知られている『中庸』は、もともと『礼記』中の一篇、すなわち礼記中庸篇として伝えられてきたものである。「中庸」の徳をくわしく解説しているが、「誠」「性」「道」「慎独」など多くの概念についても述べている。『大学』が四書の入門であるのに対し、『中庸』は四書の中で最後に読むべきものとされ、司馬光、范祖禹、蘇軾、程顥など、著名な人びとの専著は十指にのぼる。この中で、もっとも知られているのは朱子の『中庸章句』である。


張説(ちょうえつ)

中国唐の政治家・詩人。字は道済。西晋の司空の張華の末裔にあたる。文官・武官として順調に官職を重ね、工部侍郎・同中書門下平章事・中書令・巡察使・節度使を歴任し、三度も宰相となった。


張元幹(ちょうげんかん)

1091年~不明. 両宋期の豪放な作風の詞人(1091年~不明)字は仲宗、号は葦川居士。長楽(現福建内)の人。


張衡(ちょうこう)

後漢代の詩人、学者及び発明家。字は平子。南陽郡西鄂県の人。太史令や尚書などを歴任した政治家である一方で、天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家としても優れた才能を発揮した。また文人としても優れ、賦や絵画の名品を残した。


長生殿(ちょうせいでん)

清の洪昇による戯曲。


晁補之(ちょうほし)

晁 補之は、中国北宋の文人。字は無咎、帰来子と号する。済州鉅野県の出身。本貫は澶州清豊県。蘇軾の門下となり、黄庭堅・秦観・張耒とともに「蘇門四学士」と称された。高祖父は晁迪。曾祖父は晁宗簡。祖父は晁仲偃。父は晁端友。弟は晁将之。族兄弟は晁説之・晁謙之・晁詠之・晁載之・晁沖之など。


朝野僉載(ちょうやせんさい)


張耒(ちょうらい)

中国北宋の文人。字は文潜。本貫は亳州譙県。


陳書(ちんしょ)

唐の史学家である姚思廉が636年に編纂した史書であり、二十四史のうちの一つである。 中国南北朝時代の南朝最後の王朝である陳の断代史である。皇帝・王を中心に記した本紀6巻と、国に仕える家臣や周辺異民族のエピソードが記された列伝30巻からの構成となっており、表や志を持たない。


椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)

曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本。文化4年から同8年にかけて刊行。全5編29冊。版元は平林庄五郎と文刻堂西村源六。 『保元物語』に登場する強弓の武将鎮西八郎為朝と琉球王朝開闢の秘史を描く、勧善懲悪の伝奇物語であり、『南総里見八犬伝』とならぶ馬琴の代表作である。


陳傅良(ちんふりょう)

[生]紹興7(1137)
[没]嘉泰3(1203)
中国,南宋の学者,文人。瑞安 (浙江省) の人。字,君挙。号,止斎。経学に詳しく,若い頃から文章家として著名。乾道年間の進士で,起居舎人,中書舎人兼侍読から宝謨閣待制に進んだ。著書には『左氏章旨』『詩解詁』のほか,詩文集『止斎文集』がある。


陳亮(ちんりょう)

南宋の儒学者。字は同甫・同父。号は龍川。婺州永康県の人。事功派永康学派の雄、朱熹の論敵として知られる。


通俗編(つうぞくへん)

中国の通俗語の辞書。清の 翟こう (てきこう。 1736~88) の著。 38巻。五千余の俗語,成語,諺を,天文,地理,時序,倫常など 38類に分類し,それぞれの語の意味を考証し,語源を解読した書。特に中世以来の戯曲,口語小説に現れる通俗語,方言を含む点に特色があり,通俗文学研究上貴重な書。なお同時代の梁同書が,同様な書をつくろうとしていたが本書をみて計画を変更し,本書に漏れた語と解釈を異にする語だけ集めて『直語補証』 (1巻) を著わした。北京商務印書館本 (1958) は両書を合せて索引がついていて,利用に便利になっている。


月瀬記勝(つきがせきしょう)

斎藤拙堂 [著] 嘉永四年(1851)十月序


程頤(ていい)

中国北宋時代の儒学者。字は正叔。伊川先生と称された。兄の程顥とともに朱子学・陽明学の源流の一人で、兄とあわせ「二程子」と呼ばれる。


帝王世紀(ていおうせいき)

西晋の皇甫謐が編纂した歴史書。三皇から漢・魏にいたる帝王の事跡を記録した。緯書の説を広く採用して、その記述内容には正史に見られないものも多い。原本は10巻[1]あったが、散逸し残っていない。清の顧観光・宋翔鳳・銭保塘らが諸書の引用から逸文を蒐集したほか、現代にも徐宗元が『帝王世紀輯存』にまとめている。


鄭谷(ていこく)

中国,晩唐の詩人。宜春 (江西省) の人。字、守愚。幼少から才名が高く、7歳で詩をつくったといわれる。清新な詩風で、写景、抒情にすぐれる。七言律詩『鷓鴣 (しゃこ) 』が有名で、そのため鄭鷓鴣と呼ばれた。詩集に『雲台編』 (3巻) がある。


丁鶴年

丁鶴年(1335~1424)は元末明初の詩人。 色目人で彼の曽祖父は元の世祖(フビライ)の征西を助けた貿易商人であった。 鶴年は武昌で文章家として若年より評判を得ていたが、方国珍や紅巾軍の乱により、色目ゆえに義母と逃亡の生活が始まった。


帝範(ていはん)

[1] 〘名〙 天子の定めた規則。〔広益熟字典(1874)〕
[2] 中国、唐の太宗が撰して太子(のちの高宗)に与えた書。四巻一二編。貞観二二年(六四八)撰。帝王たる者の模範とすべきことを記し、「貞観政要」とともに帝王学の教科書として知られる。


輟耕録(てっこうろく)

元末の1366年に書かれた陶宗儀の随筆。30巻。正式な題名は『南村輟耕録』という。主に元の時代のさまざまな事柄を詳しく記している。


伝習録(でんしゅうろく)

中国の明の時代に、王陽明が起こした儒学の教え・陽明学の入門書。陽明自身には、自ら著した書物がほとんどなく、本書は、弟子たちが王陽明の手紙や言行などをまとめた3巻で構成される。各巻それぞれ成立の時期と事情を異にする。


竇娥冤(とうがえん)

中国,元代の戯曲。 関漢卿の作。 若い寡婦の竇娥が,ならず者の張驢児の意に従うことを拒んで奸計に落され,毒殺事件の犯人とされて刑死する。 まもなく巡察官としてやってきた彼女の父が,亡霊となった娘の訴えによってその冤罪を明らかにするという筋。


東観漢紀(とうかんかんき)

後漢・班固・劉珍等奉勅撰。後漢末に成る。後漢・光武帝から霊帝に至るまでの時代を紀伝体で記述した歴史書。


東斎記事(とうさいきじ)


唐詩紀事(とうしきじ)

中国、唐代の詩人について、その詩と詩にまつわる話や、小伝、評論などを収めた書。宋(そう)の計有功(けいゆうこう)の編。81巻。取り上げられる詩人の数は1150人に及ぶ。その収録する記事はきわめて広範囲にわたり、この書物によって後世に伝わった詩人と作品は甚だ多く、唐詩研究上の重要な資料とされる。なお、元(げん)の辛文房(しんぶんぼう)の編になる唐代詩人の伝記『唐才子伝』は、この書物から多くの材料を得ているとされる。テキストとしては南宋の王禧(おうき)本(1224)を最古とし、明(みん)刊本には洪楩(こうべん)本、張子立(ちょうしりつ)本などがある。


唐書(とうじょ)

中国、唐代に関する正史。『旧(く)唐書』『新唐書』の2種類がある。『旧唐書』200巻は五代後晋(こうしん)の劉昫(りゅうく)らの撰(せん)、945年成立。唐滅亡直後の史料不足により後半部が不備であり、前半部も先行諸史料の摘録からなっていて、体裁に一貫性はない。しかしそのために、唐代の原史料の文がほぼそのまま残されている部分も多く、史料的価値は高い。


陶潜(とうせん)

中国、東晋(とうしん)・宋(そう)の詩人。字(あざな)は淵明(えんめい)。また、本名淵明、字を元亮(げんりょう)ともいう。潯陽柴桑(じんようさいそう)(江西省)の人。


東坡禅喜集(とうばぜんきしゅう)

蘇東坡(1036-1101)の禅に関する詩文と逸話、および仏印禅師(?-1098)との問答を収録したもの。徐長孺(益孫)の編。巻首に万暦庚寅(1590)の序と、陸樹声の題あり、巻尾に心空居士唐文献の跋がある。ただし、「四庫提要」によれば、万暦癸卯(1603)に凌濛が増補改訂して十四巻としたものがあるという。東坡、名は軾、字は子瞻、眉山居士と号した。長公、または大蘇とよばれる。唐宋八大家の一人。特に禅に親しみ、のちに五祖師戒の後身と信ぜられる。仏印、名は了元、字は覚老。仏印は神宗より与えられた勅賜号。雲門五世に当る。


東方朔(とうほうさく)

東方 朔は、前漢の武帝時代の政治家。字は曼倩。平原郡厭次県の人。


唐律疏議(とうりつそぎ)

『唐律疏義』(とうりつそぎ、『唐律疏議』とも)は唐の高宗の永徽3年(652年)に編纂された唐律の注釈書である。長孫無忌等19人により編纂され、永徽4年(653年)に頒布された。


読史管見(とくしかんけん)

南宋(1127~1279)の儒学者、胡寅(こいん:1098~1156)が「歴史を読んでの私見」としてまとめた書物。


独断(どくだん)

筆者は蔡邕(さいよう)。中国、後漢(ごかん)の文人、学者。字(あざな)は伯喈(はくかい)。陳留(河南省)の人。博学で天文、音楽などの学問に通じ、文章にも優れ、琴(きん)の名手としても知られた。霊帝(在位168〜189)のときに郎中(ろうちゅう)となり東観で書物を校訂し、議郎となった。175年(熹平4)馬日磾(ばじつてい)らと六経(りくけい)の文字を校定し、自ら石に刻んで太学(たいがく)門外に立てた。これを熹平石経(きへいせきけい)という。のちに董卓(とうたく)に召されて左中郎となったが、卓が誅(ちゅう)されると捕らえられて獄中で死んだ。著書に『独断』『蔡中郎集』がある。


杜甫(とほ)

中国盛唐の詩人。字は子美。号は少陵野老、別号は杜陵野老、または杜陵布衣。「杜少陵」「杜工部」「杜拾遺」とも呼ばれる。律詩の表現を大成させた。幼少の頃から詩文の才能があり、李白と並ぶ中国文学史上最高の詩人として、李白の「詩仙」に対して、「詩聖」と呼ばれている。


杜荀鶴(とじゅんかく)

中国晩唐の詩人。字は彦之、九華山人と号す。池州石埭県の人。本貫は京兆郡杜陵県。杜牧の末子ともされる。大順2年の進士。 朱全忠に気に入られ、翰林学士・主客員外郎・知制誥となる。琴詩に巧みな風流人であったが、権勢に驕り、他人には憎まれていた。


杜牧(とぼく)

中国晩唐の詩人。字は牧之。号は樊川。本貫は京兆郡杜陵県。西晋の杜預の子の杜尹の末裔にあたる。祖父は中唐の歴史家の杜佑。父は駕部員外郎の杜従郁。弟は杜顗。詩人の杜荀鶴は庶子と言われる。 晩唐の繊細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作った。風流詩と詠史、時事諷詠を得意とし、艶麗と剛健の両面を持つ。


杜預(とよ)

中国三国時代から西晋時代の政治家・武将・学者。魏・西晋に仕えた。字は元凱。諡は成。慣用的には「どよ」とも読まれてきた。京兆尹杜陵県の人。祖父は杜畿。父は杜恕。子は杜錫・杜躋・杜耽・杜尹など。妻は高陸公主。『春秋経伝集解』の著者。


杜陽雑編(とようざつべん)

日本人が初めて海外の文芸作品に登場するのは、中国唐代の876年に出版された伝奇集『杜陽雑編(とようざつべん)』である。


敦煌変文集(とんこうへんぶんしゅう)

「な行」四字熟語の典拠・出典

夏目漱石(なつめそうせき)

夏目 漱石は、日本の教師・小説家・評論家・英文学者・俳人。本名は夏目 金之助。俳号は愚陀仏。明治末期から大正初期にかけて活躍した近代日本文学の文豪の一人。 代表作は『吾輩は猫である』『坊つちやん』『三四郎』『それから』『こゝろ』『明暗』など。明治の文豪として日本の千円紙幣の肖像にもなった。


南柯太守伝(なんかたいしゅでん)

中国、唐代の伝奇小説。李公佐(りこうさ)作。淳于棼(じゅんうふん)という主人公が酒に酔ってうたた寝するうち、槐安(かいあん)国という国の使者に招かれ、庭の槐(えんじゅ)の木の洞(ほら)を通ってその国に行き、栄達を極める夢をみる。夢から覚めて、庭の槐の洞を切り開いて調べてみると、夢でみたとおりの蟻(あり)の国が現れたという話。


難経(なんぎょう)

『難経』は、古代中国の医学書『黄帝八十一難経』の略称で、『八十一難経』ともいわれる。成立年代ははっきりわかっていないが、『黄帝内経』成立より後であり、 また傷寒雑病論の張仲景が序で『八十一難経』を参考にしたと述べていることから、それに先立つ著作である。内容から後漢以降に成立したと考えられている。


南史(なんし)

中国の南朝について書かれた歴史書。李大師により編纂が開始され、その子の李延寿によって完成された。二十四史の一つ。 全80巻で、本紀10巻・列伝70巻の構成となっている。 南北朝時代の南朝にあたる国家、宋・斉・梁・陳の歴史を記している。


南斉書(なんせいしょ)

中国南朝の斉について書かれた歴史書。南朝梁の蕭子顕が書いた紀伝体の史書。二十四史の内の一つ。原名は『斉書』であったが、李百薬の『北斉書』に鑑みて、宋の時代に手直しされた。 本紀8巻・志11巻・列伝40巻の合計59巻。高帝の建元元年から和帝の中興2年までの南朝斉の歴史が記されている。


南楚新聞(なんそしんぶん)

「新聞」の語は、中国の唐時代、地方で起こった出来事を記した随筆体の読み物『南楚新聞』で最初に使われた。


南唐近事(なんとうきんじ)

鄭文寶の作品。


二刻拍案驚奇(にこくはくあんきょうき)

中国,明代末期(17世紀前半)に出版された五つの口語体短編小説集の総称。すなわち馮夢竜(ふうぼうりゆう)編の《喩世明言》(原題は《古今小説》),《警世通言》《醒世恒言》の〈三言〉と,凌濛初(りようもうしよ)編の《初刻拍案驚奇》《二刻拍案驚奇》の〈二拍〉とを言う。各書とも40巻,計200巻。


日本外史(にほんがいし)

江戸時代後期に頼山陽が著した国史の史書。源平2氏から徳川氏までの武家盛衰史で、すべて漢文体で記述されている。文政10年、山陽と交流があった元老中首座の松平定信に献上され、2年後に大坂の秋田屋など3書店共同で全22巻が刊行された。明治以後、日本語口語体に訳された本も数社から刊行されている。


日本書紀(にほんしょき)

奈良時代に成立した日本の歴史書。養老4年に完成したと伝わる。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。


仁王経(にんのうぎょう)

大乗仏教における経典のひとつ。『仁王般若経』とも称される。なお、この経典は仏教における国王のあり方について述べた経典であり、天部に分類される仁王について述べた経典ではない。


涅槃経(ねはんぎょう)

『大般(だいはつ)涅槃経』の略。小乗の経典と大乗の経典の2種がある。釈尊の入滅されるその日の最後の説法を通して、仏教の根本思想を伝える経典である。クシナーラーの沙羅双樹の中で釈尊が「仏の永遠性」「一切衆生悉有仏性」などの真理を語る。

「は行」四字熟語の典拠・出典

枚乗(ばいじょう)

前漢の文人。字は叔。沛郡淮陰県の人。賦や文章を得意とした遊説の徒。辞賦盛行のさきがけをなし、また美文で知られる「七発」によって、「七」という新文体を開いた。班固著『漢書』巻51枚乗伝に伝がある。 武帝が即位し、安車蒲輪をもって彼を召したが、都長安に至る途中に病死した。


佩文韻府(はいぶんいんぷ)

中国清代の蔡升元らが康熙帝の勅を奉じて編纂した韻書、106巻。補遺である汪灝ら撰の韻府拾遺106巻と共に用いられる。前者が1711年、後者が1720年の成立。


馬熙(ばき)


白居易(はくきょい)

唐代中期の漢詩人。本貫は太原郡陽邑県。兄は浮梁県の主簿の白幼文。弟は白行簡。北斉の白建の末裔を自称しているが、出自を捏造しており、実際は胡族の出自ともいわれる。 名の「居易」は、『礼記』「中庸」の「君子居易以俟命、小人行険而僥倖」に由来する。


白孔六帖(はくこうりくじょう)

宋代に晁仲衍が注を為し、孔伝が続編として『孔氏六帖』30巻を撰したので、後人はそれを本書と合本し、『白孔六帖』または『唐宋白孔六帖』と称した。100巻。また、『資暇集』や『南部新書』の撰者らは、その錯誤を指摘している。同様に『容斎随筆』でも、浅薄な書として扱われている。


芭蕉翁廿五箇条(ばしょうおうにじゅうごかじょう)

江戸中期の俳諧作法書。1冊。享保11年(1726)刊。芭蕉の作といわれるが、各務支考(かがみしこう)の偽作かとされる。蕉風俳諧の付合つけあいの作法25か条を説いたもの。貞享式(じょうきょうしき)。


博物志(はくぶつし)

中国の奇聞,伝説集。西晋の張華の著。 10巻。神仙や異常な人間,動植物についての記録を主とし,民間伝説などが交る。


林鶴梁(はやしかくりょう)

没年:明治11.1.16(1878)
生年:文化3.8.13(1806.9.24)
江戸後期から明治期の儒学者,幕臣。名は長孺,通称は初め鉄蔵のち伊太郎,鶴梁と号し,堂号を十七種素芳堂といった。上州(群馬県)人。江戸に出て御家人株を買い幕吏林氏を継ぐ。


般舟讃(はんじゅさん)

中国、唐の浄土教僧善導の著。1巻。正しくは『依観経等明般舟三昧行道往生讃』という。『観無量寿経』などによって、浄土をたたえる文章を作り、般舟三昧による浄土往生の道を明らかにしたもの。


范成大(はんせいだい)

范 成大は、中国南宋の政治家・詩人。字は至能、石湖居士と号した。尤袤・楊万里・陸游とともに南宋四大家の一人。


范仲淹(はんちゅうえん)

中国の北宋の政治家・文人。字は希文。諡は文正。唐の同鳳閣鸞台平章事の范履冰の末裔にあたる。


般若心経(はんにゃしんぎょう)

『般若波羅蜜多心経』は、大乗仏教に分類される般若経典群の思想の核心を簡潔に説いた仏典。『般若心経』は略称。 仏教の全経典の中でも最も短いもののひとつ。古くから日本の在家信者に愛唱される経典であり、複数の宗派において読誦経典の一つとして広く用いられている。


秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)

空海の著書。3巻。天長7 (830) 年頃成立。『秘密曼荼羅十住心論』をみずから要約したもので、『十住心論』を広論というのに対して、略論といわれる。十住心の教判を立て,真言宗が一切諸教のうえに立って、すべてを包括するものであることが説かれている。


評史(ひょうし)

一五~一六世紀の政治家、趙弼(ちょうひつ)が書いた書物。


傅咸(ふかん)

傅咸(239~294)
字は長虞。北地郡泥陽の人。傅玄の子。咸寧初年、尚書右丞に任ぜられた。司徒左長史・車騎司馬に進んだ。恵帝のとき、尚書左丞・御史中丞を歴任した。しかし、司馬亮を諫め、夏侯駿を弾劾したため免官された。のち、議郎・司隷校尉などをつとめた。当時、朝政が弛緩し、権勢家が放恣にふるまっていたので、奏上して河南尹・澹らの官を免職させたため、京師は粛然としたという。


傅玄(ふげん)

中国三国時代から晋にかけての人物。魏・西晋の政治家・文学者・学者。字は休奕。本貫は涼州北地郡霊州県。祖父は傅燮。父は傅幹。子は傅咸。


物理論(ぶつりろん)

三国時代の呉の人である楊泉(ようせん)は宣夜説を継承し,〈天地を成す者は気なり〉として,気一元論を唱道した(《物理論》)。


不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)

江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭が執筆した「剣法と禅法の一致」についての書物である。執筆時期は諸説あるが、内容から見て寛永年間であろうと推測される。別称を『不動智』、『剣術法語』、『神妙録』とも呼ばれ、原本は存在せず、宗矩に与えられた書も、手紙か本か詳しい形式は判明していない。


文章軌範(ぶんしょうきはん)

『文章軌範』は、中国宋の謝枋得が編纂した、唐宋の「古文」の名作文章の選集文献で、その数は69である。 古文とは、六朝時代に流行した1句の字数を4字と6字に限定し、ほぼ全てが対句で構成された極端に装飾的な駢文に対して、唐の柳宗元・韓愈たちが提唱した文体である。


文章弁体


文心雕龍(ぶんしんちょうりゅう)

中国・南朝梁の劉勰が著した文学理論書。全10巻。


文心雕竜(ぶんしんちょうりょう)

中国最古の文学理論書。10巻。梁 (りょう) の劉勰 (りゅうきょう) 著。500年ごろ成立。古代の文章をとりあげ、その文体や修辞をそれぞれの部門ごとに整理・解説したもの。


文中子(ぶんちゅうし)

中国、隋代の儒者王通 (おうとう) の諡 (おくりな) 。また、王通と門人との対話集「中説」の異称。


文徴明(ぶんちょうめい)

文 徴明は、中国明代中期に活躍した文人である。詩書画に巧みで三絶と称され、とりわけ画においては呉派文人画の領袖である沈周の後を受け継ぎ、沈周・唐寅・仇英とともに明代四大家に加えられた。 蘇州府長洲県の人。幼名を壁または璧、字を徴明としたが名前のようになってしまったので徴仲と改めた。


文天祥(ぶんてんしょう)

中国南宋末期の軍人・政治家。もとの名は雲孫。字は宋瑞、または履善。号は文山。吉州廬陵県富川の人。 滅亡へと向かう宋の臣下として戦い、宋が滅びた後は元に捕らえられ何度も元に仕えるようにと勧誘されたが忠節を守るために断って刑死した。張世傑や陸秀夫と共に南宋の三忠臣の一人。父は文儀。母は曾氏。妻は欧陽氏。


平家物語(へいけものがたり)

日本の鎌倉時代に成立したとされる軍記物語で、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などを描いたもの。作者は不明。


平妖伝(へいようでん)

北宋の仁宗皇帝の頃に貝州で起こった王則の反乱に基づく長編の白話小説。


碧巌録(へきがんろく)

中国の仏教書であり禅宗の語録。別名に仏果圜悟禅師碧巌録、碧巌集とも呼ばれる。全10巻。宋代の禅僧で雲門宗4世の雪竇重顕が、唐代の禅者の伝記の中から百則の問答を選んでそれぞれに頌をつけた『雪竇百則頌古』に、宋代の禅僧で中国の臨済宗11世の圜悟克勤が前文と批評を加えたもの。


別所長治記(べっしょながはるき)


駢字類編(べんじるいへん)

世界大百科事典内の《駢字類編》の言及

・・・わけても《事類賦》は清にいたって《広事類賦》《広広事類賦》《続広事類賦》と増補され継がれ,これらが《事類統編》として合刻されてのちも《増補事類統編》が作られたように,歴代とくに重んぜられた。このほか字書や韻書の形を借りた類書も明代以降多数編まれたが,これらを集大成したものが清朝の勅撰にかかる《駢字類編》と《佩文韻府(はいぶんいんぷ)》である。


報恩経(ほうおんぎょう)

『大方便仏報恩経』のこと。 七巻。 訳者不詳。 出家して親を捨てるのは忘恩であるという非難に対して、一切の衆生を棄てないという大慈心をおこすことこそ真の報恩であると説いたもの。


宝鑑(ほうかん)

手本となるような事柄を書いた本。


法言(ほうげん)

『法言』は、前漢の学者揚雄が『論語』の体裁を模して作った思想書である。作者の名を冠して『揚子法言』とも呼ぶ。


方広大荘厳経(ほうこうだいしょうごんきょう)

大乗仏教の経典のひとつで、釈迦の降生から初転法輪に至る前半生を記したもの。『大正新脩大蔵経』では巻3の本縁部に収録されている。『方広大荘厳経』より早い時期に漢訳された『普曜経』も基本的には同内容だが、かなりの違いがある。


鮑照(ほうしょう)

南朝宋の詩人。字は明遠。本貫は上党郡、後に東海郡襄賁県に移る。最後の官職である「前軍参軍」にちなみ、後世「鮑参軍」と呼ばれる。南朝宋の文帝の元嘉年間を代表する詩人として、同時期に活躍した謝霊運・顔延之と併称して「元嘉三大家」の一人に数えられる。妹の鮑令暉も詩人として知られる。


法書要録(ほうしょようろく)

《書名》一〇巻。唐の張彦遠(チョウケ゛ンエン)の編。成立年代不詳。書道に関する文献を集めたもの。中国書道を研究する上に、欠くことのできない重要な文献が多い。


抱朴子(ほうぼくし)

晋の葛洪の著書。内篇20篇、外篇50篇が伝わる。 とくに内篇は神仙術に関する諸説を集大成したもので、後世の道教に強い影響を及ぼした。


牟融(ぼうゆう)

中国古代の思想家。牟子博とも牟融ともいわれ,名も定かでない。生没年も不明であるが,彼の著作である《理惑論》の序文によれば,牟子は後漢末,蒼悟(広西省)の人で,経伝諸子や兵法,神仙の書まで読みあさった。…


方輿勝覧(ほうよしょうらん)

『方輿勝覧』(ほうよしょうらん)は、南宋の祝穆(中国語版)(しゅくぼく)によって13世紀に編纂された地理書。70巻。州ごとに名所旧跡や有名人などを記している。


北史(ほくし)

『北史』は、中国の北朝について書かれた歴史書。李大師により編纂が開始され、その子の李延寿によって完成された。二十四史の一つ。 全100巻で、本紀12巻、列伝88巻の構成となっている。 南北朝時代の北朝にあたる王朝、北魏・西魏・東魏・北斉・北周・隋の歴史を記している。


墨子(ぼくし)

中国戦国時代に活動した諸子百家の墨家の開祖、墨 翟の尊称。およびその名に仮託された書物の名前。平和主義・博愛主義を説いた。中国の科学技術史の先駆者ともされる。


北斉書(ほくせいしょ)

中国北朝の北斉の正史。李百薬ら奉勅撰。本紀八巻、列伝四十二巻、計五十巻。貞観十年(六三六)完成奏上。はじめ隋代に李徳林が紀伝体の『斉書』を編し、編年体の王劭『斉志』と並び行われていたが、唐初貞観三年、太宗の命により先行五朝(北斉・北周・梁・陳・隋)正史の編纂が進められると、徳林の子百薬は北斉史を担当し、父の書に基づき王書などを加え本書をとりまとめた。


北夢瑣言(ほくぼうさげん)

中国、宋(そう)の孫光憲の著書。唐末・五代の世に知られない逸話を集めた書。20巻。


法華経(ほけきょう)

大乗仏教の代表的な経典。正式には妙法蓮華経という。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想が説かれている。聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来した。


菩提心論(ぼだいしんろん)

インドの龍樹の著として伝えられる書。1巻。正式には『金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論』といい、『発菩提心論』ともいう。不空の訳とされているが疑問がある。発菩提心を密教的に基礎づけ、心を統一すること (禅定) による即身成仏を説く。真言宗では行者必須の論書とされる。


法句経(ほっくぎょう)

原始仏教の経典。パーリ語テキストは『ダンマパダ』と称し、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形で伝えた韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、パーリ語で「真理・法の言葉」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する。


法華義疏(ほっけぎしょ)

①中国隋代の法華経の注釈書。一二巻。隋の吉蔵著。三論の立場によって書かれている。
②三経義疏の一つ。四巻。聖徳太子の著とされたが、近年、その説は疑われている。鳩摩羅什訳の妙法蓮華経二八品に対する注釈書で梁の法雲の法華義記などによるが、随所に独創的解釈を行ない、日本仏教の展開を方向づけたといわれる。


本事詩(ほんじし)

中国の詩に関する逸話集。晩唐の孟けい (もうけい) の著。1巻。光啓2 (886) 年成立。詩人の作詩の動機,背景などのエピソードを記し,のちの「詩話」のさきがけとなった。内容はほぼすべて唐の詩人についての記事であり,唐代詩人の伝記資料として貴重。


本朝文粋(ほんちょうもんずい)

平安時代中期の漢詩文集。14巻。藤原明衡撰。平安時代初期から中期の漢詩文427編を分類し収める。


梵網経(ぼんもうきょう)

『梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十』とは、大乗仏教の経典であり、『梵網経』と通称する。鳩摩羅什訳とされる漢訳が伝わる。上下の二巻本で、下巻を特に「菩薩戒経」とよぶ。 僧肇の序文によれば、原本『梵網経』120巻61品の1品を訳出したものであるという。 漢伝仏教における菩薩戒はこの経典に説かれるものが用いられる。

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「ま行」四字熟語の典拠・出典

摩訶止観(まかしかん)

仏教の論書の1つで、止観についての解説書。10巻。594年に中国荊州玉泉寺で天台智顗によって講義され、弟子の章安灌頂によってまとめられた。天台三大部の1つ。


摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)

摩訶僧祇律とは、仏教の大衆部に継承されてきた律のこと。十誦律、四分律、五分律と共に四大広律と呼ばれる。


松窓雑録(まつまどざつろく)


宮本武蔵(みやもとむさし)

宮本 武蔵は、江戸時代初期の剣術家、大名家に仕えた兵法家、芸術家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名である。 後世、演劇・小説・漫画・映画やアニメなど様々な映像作品の題材になり、現代では「剣聖」と呼ばれることもある。


明史(みんし)

『明史』は、中国清代に編纂された歴史書。二十四史の一つ。「本紀」24巻、「列伝」220巻、「表」13巻、「志」75巻、「目録」4巻の計332巻から構成される紀伝体で、明朝の成立から滅亡までについて記述される。編纂開始は順治年間、完成は1739年であるが、大部分は康熙年間に編纂されている。


無量寿経(むりょうじゅきょう)

『無量寿経』は、大乗仏教の経典の一つ。 原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』で、「極楽の荘厳」という意味である。サンスクリットでは同タイトルの『阿弥陀経』と区別して、『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ぶ。


無門関(むもんかん)

中国南宋時代の無門慧開によって編まれた仏教書、または禅宗で禅書・公案集と呼ばれる著作。禅宗の公案、古則を紹介するもので、本則に、無門の禅的な批評鑑賞である評唱がつけられ、さらに俯瞰した頌と呼ばれる宗旨を込めた漢詩が付され、これらをもって1節とし、48の節と序文、後序とからなる1巻本である。


明皇雑録補遺(めいこうざつろくほい)

「雨霖鈴曲」(明皇雑録補遺)は楊貴妃に死を賜ったあと、斜谷で長雨と馬の鈴の音の響きに亡き愛妃を思って玄宗がつくった楽曲の名。


蒙求(もうぎゅう)

蒙求は、伝統的な中国の初学者向け教科書である。日本でも平安時代以来長期にわたって使用された。日本で広く知られている「蛍雪の功」や「漱石枕流」などの故事はいずれも「蒙求」に見える。


孟子(もうし)

中国戦国時代の儒学者、思想家。姓は姫、氏は孟、諱は軻、字は子輿か。亞聖とも称される。「子」は先生という意味で尊称。孔子の孫である子思の門人に学業を受けたとされ、儒教では孔子に次いで重要な人物とされる。そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 言行は『孟子』に纏められている。


孟昶(もうちょう)

孟 昶は、十国後蜀の第2代の皇帝。もとの名は仁賛。高祖孟知祥の五男。後世の史家からは後主と呼ばれている。


文殊説般若経(もんじゅせつはんにゃぎょう)


文選(もんぜん)

中国南北朝時代の南朝梁の昭明太子蕭統によって編纂された詩文集。全30巻。春秋戦国時代から南朝梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品を、37のジャンルに分類して収録する。隋唐以前を代表する文学作品の多くを網羅しており、中国古典文学の研究者にとって必読書とされる。

「や行」四字熟語の典拠・出典

安井息軒(やすいそっけん)

江戸時代の儒学者。名は衡、字は仲平、息軒は号。日向国宮崎郡清武郷出身。飫肥藩士。その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いた。門下からは谷干城や陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出された。妻の佐代は、森鷗外の歴史小説『安井夫人』のモデル。 有名な言葉としては「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり。」


遺教経(ゆいきょうぎょう)

大乗経典。梵本やチベット訳は現存しない。鳩摩羅什 (くまらじゅう) 訳。1巻。釈迦が涅槃に入る前に最後の教えを垂れたことを内容とし、戒を守って五欲をつつしみ、定 (じょう) を修して悟りの智慧を得ることを説く。中国・日本で普及し、特に禅門で重視される。仏垂般涅槃略説教誡経。仏遺教経。


維摩経(ゆいまきょう)

『維摩経』 は、大乗仏教経典の一つ。別名『不可思議解脱経』。 サンスクリット原典と、チベット語訳、3種の漢訳が残存する。漢訳は7種あったと伝わるが、支謙訳『維摩詰経』・鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』・玄奘訳『説無垢称経』のみ残存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳である。


酉陽雑俎(ゆうようざっそ)

中国唐代の段成式による随筆。博物学的知識から奇事異談まで様々な内容を扱う。860年頃の成立。全20巻および続集10巻。


瑜伽師地論(ゆがしじろん)

大乗仏教唯識派の重要な文献。


庾信(ゆしん)

中国の南北朝時代の文学者。字は子山。本貫は南陽郡新野県。南朝梁に生まれ、前半生は皇太子蕭綱配下の文人として活躍した。侯景の乱後の後半生は、やむなく北朝の北周に身を置くことになり、代表作「哀江南賦」をはじめ、江南を追慕する哀切な内容の作品を残した。


楊果(ようか)

楊果とは楊貴妃のことで、絶世の美女だったとされ、中国四大美人の一人。中国四大美人とは、中国の歴史上において特に美人とされる四人の女性のこと。


揚子法言(ようしほうげん)

中国の思想書。前漢の揚雄著。全13巻。成立年代未詳。「論語」に擬し、問答形式で儒教思想を説き、孟子の性善説と荀子の性悪説との調和を試みたもの。法言。


揚雄(ようゆう)

中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。


吉田松陰(よしだしょういん)

吉田 松陰は、江戸時代後期の日本の武士、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者・理論者。「松下村塾」で明治維新に重要な働きをする多くの若者へ影響を与えた。

「ら行」四字熟語の典拠・出典

礼記(らいき)

儒教の最も基本的な経典である「経書」の一つで、『周礼』『儀礼』と合わせて「三礼」と称される。『小戴礼記』とも。全49篇。


頼山陽(らいさんよう)

大坂生れの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎、名は襄、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。1891年贈正四位、1931年贈従三位。


駱賓王(らくひんおう)

中国の唐代初期の詩人。王勃・楊炯・盧照鄰とともに「初唐の四傑」と称せられる


李賀(りが)

中国唐代中期の詩人。字は長吉。官職名から李奉礼、出身地から李昌谷とも呼ばれる。河南府福昌県昌谷の人。その詩は伝統にとらわれずはなはだ幻想的で、鬼才と評された。


李開先(りかいせん)

中国、明(みん)代の詩文家、劇作家。章丘(山東省)の人。字(あざな)は伯華、号は中麓(ちゅうろく)。1529年(嘉靖8)の進士。戸部侍郎(こぶじろう)、太常寺少卿(たいじょうじしょうけい)になったが、40歳で官を退き、家に2、30人の俳優を置き芝居を楽しんでいた。万言の文章を書き、一韻で百首の詩をつくることができた。元曲を高く評価して『改定元賢伝奇』を編集したほか、『登壇記』『宝剣記』『断髪記』の三種の南曲(南方系の戯曲)を書いた。嘉靖(かせい)(1522~66)から万暦(1573~1619)へと上昇してゆく演劇界の先導的役割を果たした。


陸機(りくき)

陸 機は、中国三国時代の呉から西晋にかけての政治家・文学者・武将。字は士衡。呉の四姓の一つである陸氏の出身。呉の丞相陸遜の孫であり、呉の大司馬陸抗の四男である。子は陸蔚・陸夏。本貫は揚州呉郡呉県であるが、家は呉の都建業の南や、祖父の封地であった華亭等にあったようである。


陸厥(りくけつ)

472年-?晋・南北朝


六韜(りくとう)

中国の代表的な兵法書で、武経七書の一つ。このうちの『三略』と併称される。「韜」は剣や弓などを入れる袋の意味である。一巻に「文韜」「武韜」、二巻に「龍韜」「虎韜」、三巻に「豹韜」「犬韜」の60編から成り、全編が太公望呂尚が周の文王・武王に兵学を指南する設定で構成されている。


陸游(りくゆう)

南宋の政治家・詩人。字は務観。号は放翁。通常は「陸放翁」の名で呼ばれる。越州山陰県の出身。南宋の代表的詩人で、范成大・尤袤・楊万里とともに南宋四大家の一人。とくに范成大とは「范陸」と並称された。現存する詩は約9200首を数える。中国の大詩人の中に最も多作である。


李献能

李献能(1192—1232)


李覯(りこう)

中国,北宋の学者,文学者。建昌南城 (江西省) の人。字,秦伯。初め郷里で門下を教育しつつ著述を行なっていたが,のち范仲淹の推薦で大学助教授となり,晩年大学説書となって終った。王安石に影響を与えたとされる。著書『潜書』『礼論』『平土書』など。詩文集『く江 (くこう) 先生全集』。


李商隠(りしょういん)

李 商隠は、晩唐の官僚政治家で、時代を代表する漢詩人。字は義山、号は玉谿生。また獺祭魚と呼ばれる。本貫は隴西郡狄道県。懐州河内県の出身だが、鄭州滎陽県で生まれた。官僚としては不遇だったが、その妖艶で唯美的な詩風は高く評価されて多くの追随者を生み、北宋初期に一大流行を見る西崑体の祖となった。


李紳(りしん)

中国、中唐~晩唐の政治家、詩人。無錫 (江蘇省) の人。字、公垂。李徳裕と結び、経歴にも波乱が多いが、会昌2 (842) 年宰相に進み、さらに淮南節度使に転出して没した。詩では元 稹らと並び称された。現在は失われたが、『新題楽府 (がふ) 』 20首の作があり、それが親交のあった白居易の『新楽府』を生む契機となった。


李白(りはく)

中国の盛唐の時代の詩人。字は太白。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世に『詩仙』と称される。


李密(りみつ)

中国の隋末に割拠した群雄の一人。字は玄邃。本貫は遼東郡襄平県。 曾祖父は西魏の柱国の李弼。祖父は北周の邢国公李曜。父は隋の蒲山郡公李寛。つまり、武川鎮軍閥中の名家の一つである遼東李氏を出自とする。


劉禹錫(りゅううしゃく)

中国唐代中期の詩人・政治家。字は夢得。河南府洛陽県の人だが、自身は中山出身と称したが、彭城出身とも伝えられるが、匈奴の末裔である。詩豪と呼ばれた。


柳永(りゅうえい)

柳 永は、北宋の仁宗時期に活躍した詩人。詞に新しい表現をもたらし、長篇形式の慢詞の流行の先駆者となった。


劉希夷(りゅうきい)

中国・唐の詩人。字は庭芝、廷芝。一説に名が庭芝で字が希夷ともいわれる。汝州梁県の出身。


柳毅伝(りゅうきでん)

中国、中唐の小説。作者は隴西(ろうせい)の李朝威(りちょうい)(生没年、経歴不詳)。


劉将孫(りゅうしょうそん)

沁園春(しんえんしゅん)の著者。


留青日札(りゅうせいにっさつ)

著作者名 田藝蘅(1524年-1591年)


柳宗元(りゅうそうげん)

中国唐代中期の文学者・政治家。字は子厚。本貫の河東郡解県から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また柳州刺史であったことから「柳柳州」と呼ばれることもある。玄祖父は柳楷。


劉長卿(りゅうちょうけい)

中国・唐代中期の詩人。字は文房。宣州の出身。本貫は河間郡楽成県。


劉廷振(りゅうていしん)


劉伶(りゅうれい)

竹林の七賢の一人。字は伯倫。三国時代の魏および西晋の文人。沛国の人。


李邕(りよう)

中国唐の書家。字は泰和。鄂州江夏県鐘台山の出身。本貫は趙郡柏人県。父は『文選』の注釈で有名な李善。子に李穎・李岐・李翹がいる。


楞伽経(りょうがきょう)

『楞伽経』とは、中期大乗仏教経典の一つ。如来蔵思想と唯識思想が説かれる。 禅についても説かれているため、初祖である達磨大師以来、中国における初期の禅宗でも重視された。 ネパールでは、九法宝典の一つとして位置づけられる。


楞厳経(りょうごんきょう)

仏書。「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」の略。一〇巻。般剌蜜帝訳。修禅、耳根円通などについて禅法の要義を説いた経。首楞厳経。


梁書(りょうしょ)

中国南朝の梁の歴史を記した歴史書。56巻。629年に、陳の姚察の遺志を継いで、その息子の姚思廉が成立させた。


梁武帝(りょうぶてい)

464~549年
蕭衍、字は叔達。梁の初代皇帝・武帝である。南朝の皇帝のなかで最も長い四八年の在位で、安定した治世だったことで知られる。残虐だったり無能だったりする皇帝が多い南朝のなかでは、ひときわ名君として名高い。


呂氏春秋(りょししゅんじゅう)

中国の戦国時代末期、秦の呂不韋が食客を集めて共同編纂させた書物。『呂覧』ともいう。秦の始皇8年に完成した。


呂本中(りょほんちゅう)

呂 本中は、宋代中国の学者・詩人。字は居仁。紫微と号し、東萊先生と呼ばれる。呂公著の曾孫。呂希哲の孫。呂好問の子。呂祖謙・呂祖倹兄弟は弟の呂弸中の孫にあたる。


臨済録(りんざいろく)

中国唐代の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄の言行をまとめた語録。一巻。詳しくは『鎮州臨済慧照禅師語録』。四家語録の1つ。


林嵩(りんすう)


林逋(りんぽ)

林逋は、中国北宋の詩人。字は君復。没後に仁宗により和靖先生の諡を贈られたため、林和靖とも呼ばれる。


霊怪録(れいかいろく)


歴代名画記(れきだいめいがき)

中国唐の高級官僚である張彦遠が著した画論・画史の著作である。先史から唐朝までの絵画資料を広く集め整理著述され、研究者にとり文献資料として不可欠とされる。


冷斎夜話(れいさいやわ)

覚範慧洪の編。詩人の逸話とその作品の評論集。わが五山文学への影響大きく、宋版による五山版がある。


列子(れっし)

中国戦国時代の諸子百家の一人列禦寇の尊称。または、その列禦寇の著書とされる道家の文献を指す。後世の道教では『冲虚至徳真経』ともいう。


列女伝(れつじょでん)

中国の前漢の劉向によって撰せられた、女性の史伝を集めた歴史書で、女性の理想を著した唯一の教訓書とされた。


列仙伝(れつせんでん)

列仙伝は、中国の道教にまつわる説話集で、70人の仙人たちの伝記が載せられている。現存資料中最古の神仙伝記集。上下2巻の構成。


蓮如(れんにょ)

室町時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第8世宗主・真宗大谷派第8代門首。大谷本願寺住職。諱は兼壽。院号は信證院。法印権大僧都。本願寺中興の祖。同宗旨では、蓮如上人と尊称される。1882年に、明治天皇より慧燈大師の諡号を追贈されている。しばしば本願寺蓮如と呼ばれる。


老子(ろうし)

中国春秋時代における哲学者である。諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。


琅邪代酔編(ろうやたいすいへん)

著者 (明)張鼎思


盧延譲(ろえんじょう)


六祖壇経(ろくそだんきょう)

仏教の経典で、中国禅宗の第六祖慧能の説法集である。禅宗における根本教典のひとつ。最も古い写本は『南宗頓教最上大乗摩訶般若波羅蜜経六祖恵能大師於韶州大梵寺施法壇経』と名づけられる。『六祖大師法宝壇経』とも、単に『壇経』とも言う。


論語(ろんご)

孔子とその高弟の言行を、孔子の死後に弟子が記録した書物である。儒教の経典である経書の一つで、朱子学における「四書」の一つに数えられる。 その内容の簡潔さから儒教入門書として広く普及し、中国の歴史を通じて最もよく読まれた本の一つである。

論衡(ろんこう)

中国後漢時代の王充が著した全30巻85篇から成る思想書、評論書。実証主義の立場から王充は自然主義論、天論、人間論、歴史観など多岐多様な事柄を説き、一方で非合理的な先哲、陰陽五行思想、災異説を迷信論として徹底的に批判した。

「わ行」四字熟語の典拠・出典

和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)

平安時代中期の歌人で公卿の藤原公任が漢詩・漢文・和歌を集めた、朗詠のための詩文集である。長和2年頃に成立した。『倭漢朗詠集』あるいは巻末の内題から『倭漢抄』とも呼ばれる。

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