著書『マンガでわかる 漢字熟語の使い分け図鑑』を講談社より出版

出典:袁枚(えんばい)の四字熟語一覧

羅聘画、袁枚像、京都国立博物館所蔵。

出典:wiki(羅聘画、袁枚像、京都国立博物館所蔵。)

袁枚(えん ばい)は、中国清代の詩人で、食通としても著名です。1716年に生まれ、1798年に亡くなりました。字(つつまれた名)は子才で、号(詩人などが自分の名前として用いる名)は簡斎、また随園老人とも呼ばれました。彼は杭州府銭塘県の出身で、寧波府慈谿県を本貫とします。

彼の略歴を見ると、12歳で生員(帝国試験の初級試験に合格した者)になり、22歳で挙人(帝国試験の中級試験に合格した者)、そして24歳で進士(帝国試験の最終段階である進士試験に及第した者)になりました。初めは翰林院(皇帝のための学者団体)で働き、その後公務につきましたが、彼の若さや妬みからか、地方の仕事しか任されませんでした。

38歳の時、袁枚は官職を辞し、その後生涯職に就くことはありませんでした。引退後は、「随園」と名付けた庭園を持つ邸宅で読書や執筆に専念し、また美食に耽溺して過ごしました。彼の高潔で風雅な詩風が評判を呼び、多くの人々が彼に入門を望んだり、詩文の執筆を依頼したりしました。そのため、彼は常に安定した収入を得ていました。

袁枚は詩人として名高く、「性霊説」という独自の詩論を展開しました。これは詩人の性情を自由に発露することを重視すべきだという理論で、これは彼の著書『随園詩話』に詳細に論述されています。また彼は、女性の文学を提唱し、多くの女性弟子に詩を教えました。これは男女の礼法を乱すと非難されましたが、それでも彼は『女弟子詩選』という詩集を公刊しました。

袁枚はまた、彼が追求した中華料理についてのレシピ集『随園食単』、怪異談を集めた『子不語』などの著作でも知られています。これらの作品から、彼の多彩な興味や深い学識がうかがえます。

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