宋之問(そうしもん、656年頃 – 712年頃)は、初唐時代の著名な詩人であり、字を延清といった。彼は山西汾州出身で、特に五言詩に優れていたとされる。
若い頃、則天武后に仕え、その詩才を認められて宮廷詩人として名を馳せた。沈佺期とともに活躍し、二人は「沈宋」として併称された。その功績として、近体詩の律詩の形式を確立・完成させたことが挙げられる。
宋之問は則天武后の寵臣、張易之兄弟や武三思らの佞臣に近づき、そのため、時に批判も受けた。実際、彼は何度か左遷されたり、罪を着せられたりした経験がある。睿宗の時代には欽州に流罪となり、その後、玄宗が即位すると、罪を理由に自殺を命じられた。
品性については評価が分かれる部分もあり、一方で彼の詩は非常に人気があり、都で広く愛唱されたとされる。特に、彼と沈佺期は律詩の形式を完成させた功績から、「沈宋」として称えられ、中国文学史において重要な位置を占めている。