『法華義疏』(ほっけぎしょ)は、伝えられるところによれば、聖徳太子が著した日本最古の肉筆遺品です。この義疏は『三経義疏』の一つで、他の二つは『勝鬘経義疏』と『維摩経義疏』です。それぞれは『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の注釈書として書かれました。
『日本書紀』によれば、聖徳太子が推古天皇14年(606年)に『勝鬘経』と『法華経』を講じたとされ、これらの義疏は彼の著作として長く信じられてきました。特に『法華義疏』は推古天皇23年(615年)に作成されたものとされています。聖徳太子真筆の『法華義疏』の写本は、天平勝宝4年(753年)までに行信によって発見され、法隆寺にもたらされました。この写本は明治11年(1878年)に皇室に献上され、現在は皇室の御物となっています。この写本は草稿本であるとされ、いくつかの部分で修正や書き込みが見られます。
なお、隋代の吉蔵著の『法華義疏』とは別の書物であり、聖徳太子の『法華義疏』は、梁の法雲の『法華義記』を基にしていますが、独自の解釈が随所に見られ、日本仏教の発展に影響を与えたと言われています。