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出典:林鶴梁(はやしかくりょう)の四字熟語一覧

林靏梁の墓(澄泉寺)

林鶴梁(はやし かくりょう、1806年9月24日 – 1878年1月16日)は、江戸後期から明治期の著名な儒学者で、江戸時代後期の代表的な儒者でありました。群馬県の上野国群馬郡萩原村(現・高崎市)出身の幕臣で、本名は長孺。通称として鐵蔵や伊太郎を持っていました。

彼は元々下役人である御箪笥同心でしたが、その文才が藤田東湖に認められ、奥火元番へと昇進しました。甲府の徽典館学頭や、遠江国中泉や出羽国柴橋の代官としての仕事を歴任し、特に安政の大地震への対応で、恵済倉という貧民救済策を実施し、地図作成などの功績で知られます。銅山開発でも実績を残し、外圧に関しては鎖港論を支持しました。

林鶴梁は、佐藤一斎、松崎慊堂、長野豊山、渡辺崋山など多くの学者に師事し、さらに徳川斉昭や真田幸貫、松平慶永といった著名な藩主との交流がありました。さらに、彼の著作『靏梁文鈔』は、夏目漱石や三田村鳶魚などの明治時代の知識人に愛読されていました。

維新後も彼は幕臣の誇りを持ち続け、東京・麻布にて門生を教育しました。彼の墓は東京都港区赤坂の澄泉寺にあります。大正4年(1915年)には、正五位が追贈されました。

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