呂本中(りょほんちゅう、1084年 – 1138年)は、北宋末から南宋初の詩人・学者で、寧州(安徽省)出身です。字は居仁、号は東莱。彼は幼少の頃から非常に賢明で、曾祖父の呂公著(宰相)の影響で、特に試験を受けることなく官職に就きました。彼は枢密編修や権尚書郎などの要職を歴任し、南宋時代には中書舎人まで昇進しましたが、中傷の末、太平観提挙に左遷されてしまいます。
詩人として、呂本中は黄庭堅の詩風を継承し、江西詩派を体系化した『江西詩社宗派図』を記述することで、江西詩派の発展に大きく貢献しました。彼自身も黄庭堅の影響を受けて、緻密で生き生きとした詩を多数残しており、『東莱詩集』や詩論の『紫微詩話』などの作品が知られています。また、彼は学者としても『哲宗実録』の編集や『春秋解』、『童蒙訓』などの著作を手掛け、その学問の幅広さと深さを示しています。