孫綽(そんしゃく、生年:314、没年:371)は、六朝時代の東晋の文学者として知られ、太原中都(現在の山西省)の出身です。字は興公といい、官途では廷尉卿から著作郎まで昇進しました。彼はその文才で当時の名を馳せ、特に『天台山賦』は魏、晋時代の代表的な辞賦として評価されています。また、老荘の思想を取り入れた「玄言詩」も作成しています。
一方、三国時代の呉にも同名の孫綽が存在し、孫権の時代に仕え、最終的には安民都尉まで昇進しました。彼の5人の子は孫休が帝位についた際、一斉に侯に任じられ、「一門五侯」と称されました。その権勢は皇帝を圧倒するほどでしたが、同年中に孫休により誅殺され、三族ともに滅ぼされました。
さらに、玄学の文脈での孫綽の言及があり、彼の〈喩道論〉が仏教との関連性を示唆しています。この理論は仏が道を体得しながらも、衆生に感応して教え導くものとして、儒家、仏教、道家の一致の理論的基盤を提供しています。