杜荀鶴(とじゅんかく、846年 – 904年?)は、中国晩唐の詩人で、字は彦之(げんし)、九華山人と号します。池州石埭県(現在の安徽省)の出身で、本貫は京兆郡杜陵県。彼は杜牧の末子ともされます。大順2年(891年)に進士として合格しました。朱全忠に認められ、彼のもとで翰林学士や主客員外郎、知制誥の役職を務めました。
杜荀鶴は、琴詩に秀でた風流人として知られていましたが、権力に驕っており、他人から憎まれることも多かったと言われています。人を殺そうとしていた、あるいは殺されそうになっていた時に病気で亡くなったとの説もあります。
彼の詩は、社会詩として唐末の動乱による人民の苦しみを写実的に捉えているため、現代の中国でも高く評価されています。詩集には『唐風集』があります。また、心頭を滅却すれば火も涼しという詩は、快川紹喜の辞世の偈としても知られています。