東方朔(とうぼう さく、紀元前154年 – 紀元前93年)は、前漢の武帝時代の政治家・文人で、平原郡厭次県(現在の山東省浜州市恵民県)出身。字は曼倩。彼は自らの推薦状を武帝に送り、気に入られた結果、常侍郎や太中大夫といった要職に就きました。彼は博学多識で文章に優れ、ユーモアや機知に富んでおり、武帝の話し相手として度々側近に仕えました。しかし、その滑稽な言動から武帝には滑稽の士とみられ、政治の面での信任は得られていませんでした。
彼の逸話としては、西王母の植えた仙桃を盗んで食べ、仙人として八千年の長寿を得たという伝説や、各種の怪現象や珍しい動物に関する知識を駆使したエピソードなどが知られています。唐代の詩人李白は彼のことを高く評価し、彼の行為や言動は後世、中国の話芸や相声などのジャンルで神様のように尊敬されるようになりました。
著書としては「答客難」や「神異経」などがあり、彼に関する詳しい記述は『史記』の「滑稽列伝」にも見られます。また、日本の能の演目にも「東方朔」という作品が存在し、そこでは彼は仙人として登場します。彼の生涯や逸話は、多くの文献や伝説で語り継がれています。