沈佺期(しんせんき、656年頃 – 716年頃)は、中国唐代初期の詩人で、字は雲卿。河南省の内黄県出身で、初唐の文学者としても名高い。彼は進士及第した後、武則天の宮廷で詩人として活躍し、宮廷詩人として名声を博しました。特に、宋之問と並び称され、「沈宋」と併称されるほどの影響力を持った。沈佺期は律詩の詩型、特に五言律詩の整備や、当時成熟していなかった七言律詩の確立に重要な役割を果たしました。
彼の生涯には数多くの波乱がありました。特に、収賄の罪で投獄された後、張易之兄弟の失脚に伴い、他の宮廷詩人らとともに遠くの嶺南に左遷されました。さらに、彼は収賄の罪が追加され、最南の驩州(現在のベトナム北部)に流された。しかし、翌年に恩赦が出され、彼は台州録事参軍に任命され、その後も中宗の宮廷詩人として再び活躍しました。彼は中書舎人や太子少詹事なども歴任し、玄宗の開元の初めに亡くなりました。
彼の詩は、美しい辞句や音韻の調和を特徴としており、当時の中国詩の発展に多大な影響を与えました。