著書『マンガでわかる 漢字熟語の使い分け図鑑』を講談社より出版

出典:蕭統(しょうとう)の四字熟語一覧

昭明太子の墓の前に於ける辟邪

昭明太子の墓の前に於ける辟邪

蕭統(しょうとう、501年9月 – 531年5月7日)は、南朝梁の皇太子として知られる人物で、昭明太子(しょうめいたいし)という諡号で広く称されています。彼は武帝蕭衍の長男で、襄陽で誕生しました。その母は丁令光という貴嬪で、彼は後に廃帝豫章王蕭棟の祖父となり、後梁の宣帝蕭詧の父ともなりました。

幼少期から頭脳明晰で、3歳の時には『論語』や『孝経』を読み、さらに5歳で五経を全て読破するなど、その聡明さが伝えられています。大人になると国政に関与し、仁政を行って民衆のために尽力しました。また、彼は文章家としても知られ、蔵書3万巻を持つほどの文学愛好者でした。その環境のもと、多くの文人たちが彼のもとに集まり、『文選』という詞華集を編纂する助けをしました。この『文選』は、梁の武帝の長子としての彼の成果として後世に知られています。

しかし、彼の人生はある日、舟遊び中に水に転落し、その事故が元で病を発症し、30歳で病死しました。その悲劇は止まらず、彼の蔵書も後に、江陵の元帝が西魏に滅ぼされた際に全て失われました。それに続いて、彼の三男蕭詧が西魏の手により後梁の天子として即位する際に、蕭統には追って高宗昭明帝の称号が贈られました。

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