韋昭は、中国三国時代の呉の政治家であり、儒学者、歴史家でもありました。彼の字(つまり、別名)は弘嗣で、揚州呉郡雲陽県の出身でした。彼の子供には韋隆がいます。
三国時代の歴史を記録した書物『三国志』の呉志の部分では、彼の名前が韋曜と記されています。この点について、後の時代の学者たちは異なる解釈を提唱しています。一方、裴松之は注釈の中で、彼の名前が晋の司馬昭と同じであるため、それを避ける意図(避諱)があったと解釈します。一方、清の銭大昕は、『三国志』には「昭」の名を持つ人物が多数見えることから、また「薛綜伝」の中には、韋曜と連名で周昭という人物が記されている箇所があることから、彼は元々「韋曜」という名も持っていたのだろうと推測します。