顔真卿(709年 – 785年)は、中国唐代の政治家であり、書家でもあります。彼は中国史上の屈指の忠臣として評価されていますが、同時に優れた学者・芸術家としても認識されています。
彼の一族は書芸術に秀でており、多くの学者を輩出した名家でした。彼自身もこの伝統を受け継ぎ、その家系の特性を持ち合わせていたと言われています。
顔真卿は26歳で進士に及第し、その後、吏部主催の任用試験に合格して秘書省の校書郎に任命されました。その後、34歳で文詞秀逸科の試験に合格し、県尉(県長)となりました。
彼はその後、監察御史に昇進し、地方の査察を行う任務を担当しました。しかし、権臣の楊国忠との対立が深まり、一時は平原郡太守に左遷されるなど、彼の政治生涯は困難を伴うものでした。
それでも彼は書芸術に優れた人物であり続け、その業績は今日まで評価されています。