曾鞏(そう きょう、1019年9月30日 – 1083年4月30日)は、中国北宋時代の著名な文学者であり、散文家として特に知られています。字(あざな)は子固といい、江西省の南豊出身で「南豊先生」とも呼ばれました。彼は若いころから文才を示し、12歳の時に『六論』を著述し、その後、欧陽脩の主催する科挙試験に合格したことで名を馳せました。地方や中央での官職を歴任し、特に民政において優れた治績を残しました。
曾鞏の文章は緻密で地味だが、堅実な議論の展開が特徴であり、特に書籍解題には定評があります。後の清代、特に桐城派から高く評価されました。彼はまた、古典籍の整理や校訂にも尽力し、『戦国策』33篇本の再校訂を手がけるなど、古代文献の保存にも貢献しました。
代表作としては、詩文集『元豊類藁』や『戦国策目録の序』、『墨池の記』などが挙げられます。彼と王安石は遠縁の姻戚関係にあり、生涯にわたる深い交友関係が続きましたが、政策に関しては必ずしも意見が一致していたわけではありませんでした。