張衡(ちょうこう、78年 – 139年)は、中国後漢時代の著名な文学者および科学者で、字は平子といいます。彼の出身地は南陽郡西鄂(現在の河南省南陽)です。文学者としては、『西京賦』『東京賦』をはじめとした詞賦で知られ、特に『四愁詩』は最初の明確な七言詩として評価されています。
科学者としての彼の業績は非常に幅広く、天文、暦算、陰陽の学問に詳しかった他、渾天儀や指南車、木雕といった機械製作の才能も持っていました。特筆すべきは、132年に製作された候風地動儀という地震感知装置で、これにより地震の震源地の方向を特定することができました。
官職としては、安帝に召され、侍中や河間相として治績をあげ、後には尚書となりましたが、139年に亡くなりました。