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出典:李商隠(りしょういん)の四字熟語一覧

李商隠・『晩笑堂竹荘畫傳』より

李商隠(りしょういん、812年(元和7年)または813年 – 858年(大中12年))は、晩唐時代を代表する中国の詩人で、字(あざな)は義山、号は玉谿生。河南省沁陽県(現在の河南省焦作市沁陽市)の出身とされ、鄭州滎陽県(現在の河南省鄭州市滎陽市)で生まれたとされる。

若い頃、進士派の令狐楚の庇護を受け、837年には進士科に及第するも、同年に令狐楚が亡くなり、その後は令狐楚の政敵である王茂元の娘を娶ることとなりました。これにより、令狐楚の子である令狐綯から裏切り者と見なされ、政治的な舞台では不遇な時期を送りました。官職としては、多くの地方官職を歴任したものの、中央の実職には恵まれませんでした。

詩のスタイルとしては、精巧な形式美を持つ律詩を得意とし、多彩な典故を駆使して独特の世界を築き上げました。その詩風は、唐文化の晩期の繊細かつ唯美的な傾向を代表するもので、特に女性への追憶や過去と現在の交錯する意識を華麗で晦渋な表現で歌っています。また、彼の文学作品は後の時代にも影響を与え、北宋初期には「西崑体」という流派を生むほどに愛されました。

加えて、李商隠は四六駢儷文(駢文)の名手としても知られています。彼の生涯は、多くの詩作と政界での困難な状況の中で過ごされましたが、その詩は後の世代に高く評価され続けています。

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