陸游(りくゆう、1125年11月13日 – 1210年1月26日)は、南宋時代の詩人であり政治家。彼の字は務観、号は放翁として知られ、通常「陸放翁」として呼ばれる。越州山陰県(現在の浙江省紹興市柯橋区)出身。彼は南宋の代表的な詩人であり、范成大、尤袤、楊万里とともに南宋四大家の一人と評され、とくに范成大とは「范陸」として並称されました。
29歳で進士の試験において第一位を獲得したものの、当時の宰相である秦檜の妨害により落第とされた経歴を持つ。秦檜の死後、官界入りを果たすものの、様々な地方官職や中央の微官を経て、しばしば批判により免職されるなど不遇の時期もあった。
陸游は強硬な対金主戦論者であり、その直接的な意見から官界では不遇であったが、その背景が彼の独特な詩風を生む原動力となった。特に、侵略者である金に対する徹底的な抗戦を主張する愛国心に満ちた詩を数多く残しており、辛棄疾とともに愛国詩人として名を馳せている。
その詩には、愛国心を強く感じさせるものから、日常の風景や生活を平静に詠んだものまで、多岐にわたる作品がある。全体としては約9200首の詩が現存し、その数は中国の大詩人の中でも最も多作であることを示している。
46歳のときに四川省への赴任時に書かれた日記『入蜀記』は、紀行文の中でも特に優れたものとして知られている。彼の主な著作には『渭南文集』50巻と『剣南詩稿』85巻があります。