『呉越春秋』は、中国の春秋時代の呉と越の興亡を詳細に記した歴史書で、後漢初期の趙曄(ちょうよう)によって著されました。
趙曄は会稽郡山陰県(現在の浙江省紹興市柯橋区)の出身で、当初は県吏の職についていましたが、後に官職を捨てて杜撫に『韓詩』を学びました。彼の著作は多くが韓詩関連のもので、『呉越春秋』以外は現代に伝わっていません。
趙曄の生卒年は不明ですが、杜撫が没するまで20年間学んだとの記録と、杜撫が76年から84年の間に没したことから推測すると、彼はおおむね1世紀後半から2世紀前半に活動していたと考えられます。
『呉越春秋』の原本は12巻で構成されていたとされていますが、後の時代に楊方によって5巻に縮小され、さらに唐の皇甫遵が趙曄と楊方の二書を校訂し、注を付けました。現行の『呉越春秋』は皇甫遵の版を基にしたもので、10巻から成り立っています。
前半5巻は呉の歴史、後半5巻は越の歴史に焦点を当てています。特に呉の闔閭・夫差と越の勾践の記事が大部分を占めています。
趙曄の『呉越春秋』は春秋時代の呉・越についてのもう一つの書物である『越絶書』を基にしており、記事の中には『越絶書』を参照した箇所が多く見られます。この書物は、呉越両国の歴史を詳細に追いながら、時折小説的な要素を取り入れて描かれています。