【四字熟語】
旱天慈雨
【読み方】
かんてんじう
【意味】
非常に困ったときに、もたらされる救いの手のたとえ。長い間待ち望んでいた物事が実現することのたとえ。
【語源・由来】
「旱天」は日照り。「慈雨」は恵みの雨。日照り続きの後に降る恵みの雨の意から。
【典拠・出典】
-
【類義語】
・大旱慈雨(たいかんじう)
【英語訳】
welcome rain in miserable trouble
miserableは「悲惨な」という意味の形容詞。
英文例
それはまさに旱天慈雨だった。It was just welcome rain in miserable trouble.
英文例
それはまさに旱天慈雨だった。It was just welcome rain in miserable trouble.
旱天慈雨(かんてんじう)の使い方
健太くん、頭をかかえてどうしたの?
週末の算数のテストの勉強してるんだけど、なにがなんだかさっぱり理解できなくて
あらまあ、わからないところ、私が教えてあげるわよ
ともこちゃん、ありがとう!旱天慈雨だ、すごく助かるよ!
旱天慈雨(かんてんじう)の例文
- 我が社は技術力は日本でも有数なくらい優秀だと自負しているが、営業力が無く、なかなか売上につながっていなかった。そんな中、大手商社から営業協力の申し出があったのは、旱天慈雨だった。
- うちのチームは守備力、打撃力とも県内でもトップクラスなのだが、ピッチャーに恵まれていなかった。だから、今年入った新入部員の中に、中学で投手ナンバー1と評判だった彼がいたことは旱天慈雨だ。
- うちの学校は進学校としては県内でも有名だが、文武両道を唱える校長先生にとっては、スポーツ面を強化できないのが悩みの種だった。だから、今度赴任してきた先生が前の学校でスポーツ指導が優秀だったのは旱天慈雨だった。
- 資金繰りに困っていたうちの会社に、大手銀行が融資を決めてくれたのは、まさに旱天慈雨だ。
- いつも前向きに取り組んでいれば、困ったときにもきっと旱天慈雨が訪れてくれると信じている。
まとめ
「旱天」は日照り、「慈雨」は恵みの雨で、日照り続きの後に降る恵みの雨の意から、旱天慈雨(かんてんじう)は、非常に困ったときに、もたらされる救いの手のたとえとなりました。困ったときに旱天慈雨(かんてんじう)が訪れてくれるかどうかは運次第なところもありますが、日頃からの努力が旱天慈雨(かんてんじう)を呼び寄せることもあるでしょう。