王勃(おう ぼつ)は、中国の唐代初期の詩人で、楊炯、盧照鄰、駱賓王と共に「初唐の四傑」と称されました。彼は神童として名高く、幼少時から詩作に優れた才能を示しました。
彼は朝散郎となり、後に高宗の子、沛王李賢の侍読として寵愛を受けましたが、「檄英王鶏文」を書いたことで、剣南に左遷されることとなりました。
彼が参軍であったとき、罪を犯した官奴を匿うことができず、その官奴を殺しました。その結果、彼は除名処分となりました。その後、この事件に連座して交趾の令に左遷された父のもとを訪ねる途中、船から転落して溺死しました。
彼の詩は、南朝の遺風を残しつつも、盛唐の詩を予感させる新鮮で自由な発想が特徴的です。彼が交趾へ向かう途中で作ったとされる「滕王閣序」は特に有名で、彼の絶唱として広く知られています。