【四字熟語】
廓然無聖
【読み方】
かくねんむしょう
【意味】
禅の悟りの境地のこと。何事にもとらわれず、広々とした世界で、そこから見ると聖者も凡夫も平等で、差別しないということ。
【語源由来】
達磨(だるま)という、嵩山の少林寺で九年間座禅をして中国へ仏教を伝えて、禅を始めた僧侶(達磨大師)が、インドから中国にやってきた際の、武帝とのやりとりした言葉が由来とされている。
【典拠・出典】
『景徳伝灯録』「三」
廓然無聖(かくねんむしょう)の使い方
ともこちゃん、ぼくは昨日とても興味深い本を読んだんだ。
どんな本を読んだの?
廓然無聖といって、禅の悟りの境地とは誰もが平等無差別であるんだって。
なんだかむずかしいけれど、私もぜひ読んでみたいわ。
廓然無聖(かくねんむしょう)の例文
- 廓然無聖というような、悟りの境地とはそう簡単にたどり着けることではない。
- 日々、いろいろなことに心をとらわれているが、廓然無聖ということを深く考えてみた。
- 廓然無聖ということに近づきたいと思うけれど、心が広々としていてわだかまりがないというようになるには、まだまだ程遠い。
- 廓然無聖という、悟りの境地にたどり着ける人は、一体どれほどの修業が必要なのだろうと考えてしまった。無差別平等という考えは、そう簡単にできることではないのかもしれない。
まとめ
廓然無聖というように、悟りの境地とはどんなものなのか、簡単には想像できないのではないでしょうか。
しかし、心が広々としてわだかまりがなく、全ての人が平等無差別という考えでいられたら、穏やかな日々を送ることができるかもしれませんね。