荀子(じゅんし、紀元前298年(または紀元前313年?) – 紀元前238年以降)は、中国戦国時代末の著名な儒学者で、趙の出身です。実名は況(じゅんきょう)といい、尊称して荀卿(じゅんけい)や孫卿とも呼ばれました。
50歳の頃、斉に遊学し、斉の襄王に仕えた後に、稷下の学士の祭酒(学長職)に任命されました。しかし、讒言により斉を去ることとなり、楚の宰相春申君の下で蘭陵の令として働きました。後に職を辞しましたが、その地に滞在し続けました。後漢の荀彧・荀攸は荀子の末裔とされています。
彼の思想は「性悪説」で知られ、これは人間が本来悪であるとする説です。しかし、礼や楽を中心とする訓練を通じて人間は徳に導かれるとも主張しました。この思想は、人間の努力と礼の重要性を強調するもので、天命思想とは対照的です。
彼の著作として『荀子』が知られており、初めて『孫卿新書』としてまとめられましたが、後に唐の楊倞により『荀子』という名前で再編集されました。唯一の宋代の刊本は日本の金沢文庫に保存されており、江戸時代に久保愛によって『荀子増注』として参照されました。中国では王先謙がこの文献を参照して『荀子集解』を著したのは比較的最近のことです。
荀子は、その思想と著作で、戦国時代の学問と文化に多大な影響を与えました。